「ユーリ!!」
「あ!?」
聞き慣れた甲高い声に夢を破られ、ユーリははっと目を覚ました。
いつの間にか、部屋の中には清らかな陽光。彼は自分の部屋で目覚めていた。金色の狼の目ではなく、青い人間の目が心配そうにのぞき込んでいる。
「今日起きてくるの遅くね?もう7時半だぞ」
お玉片手にほつれたエプロン姿のボリスは、若干の訝しみが交じった顔で尋ねた。
「ボリス……お前、勝手に他人の部屋に入るなよ」
内心助かったことに安堵しつつも、強がりのあまり天の邪鬼を言ってしまうユーリ。しかし同じく相方の短所を理解しているボリスは、別に気にかけずさらりと流す。
「だって鍵開いてたもん。それも変だよ。どうかした?」
「いや……」
問われてユーリは思わず黙り込む。果たしてさっきまでの奇天烈な夢を、どう説明すべきかと迷った。そもそもこの頭の中身の薄い男に、説明したところで理解してもらうのは難しいかもしれないが。
「なんかすげーうなされてたけど、大丈夫か?」
「いい夢と悪い夢が同時に襲ってきた」
もう一度心配そうに聞かれ、ユーリはそれにはきっぱりと答えた。さり気なく、本当にどこか狼の毛がついていないかと確かめつつ。
「お前ってばいつも忙しいな」
ボリスは苦笑しながら、部屋を後にした。
再び部屋に一人残された後、ユーリはまだぼんやりとベッドの上に座ったままでいた。
ヒバの穴ぐら、そして果てのない雪の平原とタイガは夜の彼方に消え、あの奇妙な狼たちの群れももはやどこにも見えない。
かすかに痛む頭を抱えつつ、彼は窓台に目をやる。
そこには読みかけの『基礎物理学』の本と、メンテの済んだウルボーグが置いてあった。昨日夢の中で初めにそうしたように、彼は利き手で掴み出す。
「……猫の方がいい理由だって?」
左手でしっかりと愛機を掴みつつ、窓からの陽光にかざす。
「この世にこいつの他に優れた犬など、どこにも存在しないからだよ」
銀毛に金色の目を持つ狼の絵が、朝の光に照らされてきらりと瞬いた。
「ユーリー、朝飯~」
「今行く」
階下から大きな声で呼ばれ、ユーリはウルボーグを戻すと朝の身支度を始めた。
***
そのころ、夢というかあっちの世界に帰った、イヴァノーフ家の祖霊狼一団は……。
「女王様!!ちょっと聞いてくださいよ!!うちの若王ったら、『犬より猫の方がいい』だなんてぬかしやがるのですよ!!解せませぬ!!」
「あなたの加護を受けていながら、気まぐれの権化である猫の方が好きだなどと!!さすがに我が子孫とはいえ不埒が過ぎます!!あやつを多少こらしめるために、処罰の許可を!!」
彼らは自らの大長にして母たる、“女王”に対して末代の無礼を申し立てていた。
豪奢で巨大な寝椅子に寝そべった、翼持つ見事な銀狼――――ユーリ憑きの聖獣・ウルボーグは、大きなあくびをしてからこう話しだした。
「ファ~ァ……そんなの勝手に言わせておけばいいじゃないの。あの子が現世の猫どもの方が好きだからと言って、我々の値打ちは少しも下がりませんよ」
何ら意に介さず泰然と言い、彼女はゆったりと尻尾を振る。そして狼仕様の玉座の傍らに立てた、氷の鏡を自分の方に向けた。
「なんせあの子は、この私こそが“至高のイヌの王”であると崇め、生涯変わらぬ忠誠を誓った者なのですから。そりゃあ私と比べれば、悪いけどあなたたちも含めて、他の犬は木っ端の野良犬にしか見えなくても仕方ないわ。うふふ。可愛いけど可哀想な子ね~」
「……」
現世を覗き込む神々の御業で、ウルボーグはユーリの様子を見ながら愛しげな表情を浮かべる。王を超える自らの大長の態度に、狼達もすっかり牙を抜かれてしまった。
「……女王様がそうおっしゃるなら、仕方がありませぬ」
「四世は爺さんに似て強情だなぁ」
「南京虫め、せめてもう少しきちんと教育して面倒見ておけばよかったものを」
「まあよいではないですか。今はともかく、元気で丈夫に育ってもらわねば。鍛えるのはおいおい」
祖霊達は互いに囁き合いながら、“女王”の御前で、しばし仲睦まじく談笑を続けていた。
さてこうして一端をお見せしてきました、“紅のイヴァノーフ家”にまつわる、その末裔と狼達の物語。数奇な運命を巡る不思議なお話、いったいこの先はどうなる事やら。
その続きはまた、いずれ時が来た時に。
Fin.