そしてユーリは、かつて知る由もなかった彼の血縁者たちと、若干想像してたのとは違うが濃密な時間を過ごした。
遊びをせがむ仔狼達のために、何十回とボールや棒切れを投げてやり、その合間にほぼすべての狼を、各々が満足するまで撫でてやった。
それからみんなで「散歩」という名の狩りに出かけた。夢というものはまことに不思議なもので、屋敷の外にはなぜかだだっ広い森があった。銀色の星月が煌々と光る中、雪明かりが反射するタイガの森を、群れの一団となってどこまでも走った。
が、いくら身体能力は超人的なレベルと言えど、所詮は彼も人間である。本物の狼の脚とスタミナには敵わない。現実じゃ考えられないことだが、彼はだんだんと遅れ気味になり、やがて息が切れて雪の上に引っくり返った。
「疲れた……何十キロ走らす気だ……俺はいったい夢の中で何してるんだ?」
若干の虚無を感じながらぶっ倒れた若王に、先を行っていた先祖達が気づいて戻ってくる。
「なんだこれしきで、だらしない」
「若王様~、もっと遊びましょう」
「もうさすがに無理だ。俺はまだ生きてる人間だぞ」
好き勝手言いながら鼻面を寄せてくる狼達を、ユーリは丁重に追い払った。
「ユーロチカ、楽しんでるようだな」
泰然と戻って来た先代が、微笑みつつそう話しかけた。聞くなりユーリは不機嫌な素振りで、雪の上に起き上がる。
「そう見えるか?」
「ああ、十分見えるな。私の目は誤魔化せんぞ。それにお前はまだ嘘が下手だ」
皮肉で返すユーリを、先代は金色の目を細めてじっと見つめた。そして彼の傍に腰を下ろすと、夢の世界に浮かぶ満月を見つめて言った。
「我々とて出来ることなら、生きているうちにお前に“家族”を味わわせてやりたかったさ。だが運命を恨んでも仕方あるまい」
その顔はどこか遠い目をして、憂いを含んでいて、狼というより齢を重ねた男の横顔に見えた。ユーリも誘われて月を見つめた。現世よりも大きく美しい月は、氷の鏡のように静かに、しかしあたたかく光っている。群れの何頭かが、もの悲しい声で遠吠えをした。
彼とて分かっている。こうなったのは大半父親のせいで、彼が物心つく前に夭折したご先祖様達には別に罪はないし、その父親だってそこまで落ちぶれたのは国のせいなのだ。
狼になった高祖父の顔を見つめると、顔の赤い毛にも銀毛が多く交じり、残雪のようにまだらになりつつあった。経緯はよく知らないが、彼もまたその生涯で数多の苦労を重ねたであろうことが窺えた。
先代はまた厳かに口を開いた。
「この先お前がどうするかは知らぬが、お前には力がある。その力で我が家の悪しき流れを断つことも、我が家の歴史を新しく築き上げることも出来る。そして必ず、最後にはここに帰ってくる」
他の狼達もうなずき、ユーリを見つめて口を開いた。
「我々は常に若王様と共に在ります。死せるその時まで、いえ、死したその後も」
「ここは永遠の玉座にして、あなたの居場所なのです」
「僕達のこと忘れないでね?現世ではもう何もできないけど、僕たちは若王様を見捨てないし、ずっと味方だよ」
先程までの底のない無邪気さを潜め、自分を見つめるいくつもの忠節な目。せいぜい父母しか知らなかった繋がりが、自分にこんなにもあったとは――――さんざん“家”を疎み続けてきた彼も、さすがに深い感慨に包まれた。
「そうか」
万感の内に、彼はつぶやく。それからやや間を置いて、こう言った。
「……ありがたい話だな」
かすかに微笑む彼の顔を見て、居並ぶ狼達も嬉しそうな顔をした。
ユーリは自分の高祖父だった狼に目線を合わせると、その頭や顎の下を存分に撫でてやった。普通こういうのって立場が逆だし、なんか変てこだなと思いつつ丹念にもふった。
「ワフッワフッ」
先代“ユーリ”であった高祖父は、狼の表情ではあるがたいそう喜んでいるようだった。今までで一番嬉しそうな表情をし、喉から吠え声を漏らしながらふさふさの尻尾を振る。
他の狼達も満面の笑みとなり、クンクンと鼻で鳴く親愛の声を出して、尻尾をちぎれんばかりに振った。
「どうだ、お前が密かに待ち望んでいた、“家族”とのふれ合いは?なかなか良いものだろう」
満足げな高祖父に問われて、ユーリはしばらく考えてから答えた。
「あー、そう、悪くはないのだが」
「俺は猫派なんだ」
その瞬間、空気が凍った。
「「「キャイ――――――ン!!」」」
狼達から一斉に、慟哭の悲鳴が上がった。
さっきまで上機嫌だった群れは一転、阿鼻叫喚となった。皆一斉に打ちひしがれた表情をし、それから悲しみと狂乱と怒りの様相となる。ひいひい爺さんは悲哀と失望余って完全にブチ切れていた。そりゃあ、自分が見込んで連れてきた同じ名前の玄孫が、こんなことを言い出したのだから当然である。
「貴様!!何たる無礼を申す!!よりにもよって、猫などという下賤な生き物の方が良いだと!!」
金色の目を爛々と燃やし、口から氷どころか火を吐かん勢いで怒り狂う。他のご先祖様達も同調して、めいめいに怒りの唸り声を上げた。
「あんな勝手気ままでぐうたらで飽き性で、『世界は自分中心に回っている』と信じて疑わぬ奴らのどこが良いのです!!実にうらやま……いやけしからん!!」
「うわぁぁぁん、若王様は僕たちのことが嫌いなんだぁぁ」
「いや許さぬ!断じて許しませぬぞ!!」
「撫でろ!!」
「構え!!」
「棒切れ投げろ!!」
愛情余って食いつかんばかりの祖霊狼たち。ところがそこでユーリが叫んだ。
「おすわり!!」
「「「ワフッ」」」
育ちのよろしいイヴァノーフ家の狼たちは、そのコマンドを聞くなり一斉におすわりした。ついでにきらきらお目々に戻って尻尾もぶんぶん振る。そのざまを見て今度はユーリがキレた。
「ほらな!!そういうところだよ!!誇り高き狼とか言いながら、命じられたらほいほい疑いもせず他人の言うこと聞きやがって!それじゃ犬と変わらんじゃないか!!自己家畜化もたいがいにしろ!!」
「しまった、軍役の間に染みついた慣習が……」
「あぁ……良家のしかるべき振る舞いが仇に……」
うっかり素直に命令を訊いてしまった、己の飼い慣らされぶりに揃って絶望するご先祖様たち。小馬鹿にしたような子孫のこの振る舞いに、先代狼は歯を剥いて唸った。
「おのれ、我が玄孫とはいえ、その野育ち具合には虫唾が走る!こうなれば徹底的にしごき上げて、その腐った根性叩き直してくれよう!!皆の者、かかれ!!」
「「「ワオーーーーーン」」」
「え、ちょっ、待て!!何をする気…………やめろー!!」
ユーリが悲鳴を上げるか上げないかといううちに、祖霊狼達はあっという間に彼に群がり、思い思いに“犬のご好意”攻撃を繰り出し始めた。
「おいどけ!!くっつくな!舐めるな!甘噛みするな!しつこいぞお前ら!!」
再び押し倒されてすりすりペロペロガブガブ、存分に“かわいい”の押し売りをされまくるユーリ。当然激怒したが、同じ血脈を引く先祖たちも負けてはいない。
「猫どものことなど忘れるまでやめませぬ!!」
「さあ犬、じゃなかった狼の方が好きだと言え!!」
「嫌だ!!絶対に嫌だ!!意地でも俺の意見は曲げんぞ!!」
カリギュラ効果で余計に依怙地になる玄孫に、高祖父はキレた。
「何たる傲慢と強情だ!呆れ果てる!ああいったい誰に似たものだろうか!!」
「血筋だよ!!間違いなく血筋だ!!」
「あの南京虫め!!」
「お前も同罪だ!!誰のひ孫だよ!!!」
身から出た錆、自分の舌禍によって、祖霊狼達に思う存分もみくちゃにされるユーリ。夢なのにちゃんと肉球で踏まれ、生温かいベロで舐め回され、冷たい鼻面を押しつけられる感覚がするというのはどういう理屈だろうか。ついでにちょっと嫌になるほど獣臭い。
顔も髪も手足も服も、くまなく狼の毛とよだれまみれにされて、ベイブレード界“恐怖の化身”たる帝王はついに音を上げた。
「だ、」
「誰でもいいから助けてくれーーーー!!」