Pelargonium - 2/2

 ダグラスがオリバーを救ったのは、彼の“冒険”の、本当の本当に最後の場面であった。

 奇跡的な偶然で助かったものの、長い間恐怖と悪意で満ちた日々を生きてきた彼の心は、もう少しで修復不可能なところまで傷み、擦り切れてしまっていた。

 “蒸気機関車は生き物のような性格を持つ”、彼らが生まれた国の人々はそう言う。そしてそれはあながち間違いではない。彼らはその“生”ある限り豊かな心を持ち、言葉を話し、誰かを求め、世界を見聞きして思考する。ただ、それが大半の人には分からないだけで。

 人も機関車も、取り巻くこの世の真実は時に残酷だ。心を持っているからこそ、彼らは人と同じように迷い、傷つき、同じように誰かを傷つけて、時に愛情に怯え、自分の気持ちに嘘をつき続ける。

 けれど―――――。

「ダグラス!」

「おや、何ですか、それは?」

 汽笛の音に気づいて午睡から覚めたダグラスは、オリバーが嬉々として貨車を牽いてきたのを見て彼に問うた。

「そんなに大荷物引っ張ってきて……いったいどうしたんです?」

 貨車は一台きりだが、その上には溢れんばかりの色とりどりの花が積まれていた。散らさないためにか、ずいぶんゆっくり走ってきたようだった。

 オリバーはにわかに頬を染めてどぎまぎし、明らかに緊張を表に出してたどたどしく言った。

「いや、別に、たいしたことじゃないんだけど……その、僕、まだ君にちゃんとお礼を言ってなかったと思ってさ」

 そう言って彼は、驚くダグラスに経緯を説明し始めた。

「僕のクルーとハット卿に、ダグラスに僕の命を助けてくれたお礼がしたいんだけどって相談したら、もう一度ちゃんと言葉を伝えるのと同時に、花でも贈ったらって言ってくれて……他のみんなや花屋さんもね、快く協力してくれたんだ。君にお世話になってる人たちもたくさんいるからね。だから、僕はその代表って意味もあるかな。うん」

 あの溢れ返る花はすべて、自分に持ってこられたものだと言う。彼と、彼以外の人々の感謝のしるしとして。ダグラスは二度驚いた。

 まだにわかには信じがたい贈り物に打ちのめされ、彼は呆けたように荷台の花々を見つめた。

「それから、これ……」

 そしてオリバーは遠慮がちにそう言い、自分のランボードの前面に乗った鉢を目線で指した。

 白い陶製の鉢には、こんもり生い茂る丸い緑の葉に、鮮やかな黄色い花をたわわに咲かせた植物が植わっていた。

 オリバーの助手がそれを取って、ダグラスの助手に渡す。黄色い花の甘い独特の匂いが、ふくよかに辺りを満たした。やり取りに乗じて、オリバーがさらに言葉を重ねる。

「これ、特に珍しいんだよ。同じ種類の中でも、めったに出回らない色なんだって。機関車が花なんかもらっても、どうしようもないって、思うかもしれないけど……僕の精一杯の気持ちだと思って、受け取ってくれないかな」

 そして彼はダグラスを見、あの時と同じ、一点の曇りもない笑顔を見せて、言った。

「ありがとう、ダグラス。僕を見つけて、助けてくれて」

 ダグラスは先程よりもっと衝撃に打ちのめされた。

 ボイラーの奥底が急にボコボコと沸き立ち、シリンダーやロッドやそのほかいろいろな配管や部品が妙な音を立てたが、誇り高い彼はすぐさまそれを抑え込んだ。

 無論、嬉しくないわけではなかった、こんな一途な礼を受けて感謝されて、嬉しくないわけがない、でもそれをそのまま表すのははしたない気がして、結局彼はいつもの冷静さを取り繕ってオリバーに言った。

「そんな満面の笑みで言われたら、受け取らないわけにはいかないじゃないですか。ありがたく頂戴しますよ。機関士と助手に頼んで、毎日水をやってもらいます。末永く大事にしますよ」

 そして最後に、一言付け加えた。

「あなたと一緒に」

 それはごく小さな小さな声で、ともすれば彼らの蒸気の音か、単なる車体の震えと間違えてしまいそうな囁きだった。

 案の定、目の前の相手は、それを受け取ることが出来ずに戸惑い、訊き返した。

「えっ、何、何か言った?」

「どうしてそう話を聞かないんですか?二度は言いませんよ」

「ええっ!?本当に、蒸気の音で聞こえなかったんだってば」

 頬を染めて皮肉に突っぱねるダグラスに、オリバーはますます面食らってうろたえていた。そこにダグラスが親愛を込めた冗談を重ね、やがていつもの他愛ない会話へと移行していく。

 世の人の大半には聞こえない世界で、確かに二つの機械の笑い声が響く。たとえ人に左右されるものでも不自由な体でも、彼らは互いを信じ、言葉を交わし、幸福だと思った。

 オリバーがダグラスに渡した花、実は然るべき意味がある。利発だが肝心の機微には鈍い彼が、知ってのことか、それとも知らずに成したことか。

 奇跡の産物とも言える、黄色いゼラニウム。

 その花言葉は“偶然の出会い”。そして“尊敬”と“真の友情”。

Fin.


 単発作品再掲、第2弾。ジャンルに突っ込んだ最初期に書いたものな気がする。今見ると粗が多すぎて直視できんな……。あとカテゴリ作るのがめんどくさいがゆえに擬人化きかんしゃに分類してるけど原型です。悪しからず。(恒例今さら注意喚起)

 キャラ解釈も沼入り当初で定まっておらず、なんかオリバーさんが薄幸にして深窓の美青年タイプになってますがそこもご容赦ください。ダギーさんはほぼこの頃からブレがないですね……。

 タイトルの「Pelargonium」はゼラニウム(テンジクアオイ)の属名です。

 かつてPixivに置いておりましたが、Pixivのなんやかんやで嫌になって消して去った時に、当時ぎかんしゃにいらっしゃった方から「消してしまったんですか?」と惜しまれた作品です。もう届くことはないかと思いますが、当時のご愛読に深く感謝し、再度ここに上げておきます。