槿花一朝のヴァレーニエ - 3/4

 手長公の広場に着くころには、春の始まりを告げる霙が降っていた。いたってありふれた日常の光景だ。しかし辺りには同じような格好をした奴らが、何でもなさそうな素振りを装って、三々五々集まり始めている。

 曇天の下を青銅の像に向かって進むと、戦友が気さくに手を挙げて歩み寄ってきた。

「よぉ、珍しく遅かったじゃねえか。どこで道草食ってたんだ?」

「悪い、革命後の花火の準備をしていたからな」

 そう答えると、ボリスは愉快そうに笑った。

「ははは、何それ、討ち入り前の冗談?」

「俺がこんな時に冗談を言った記憶が一度でもあるか?」

 笑うボリスに、ごく真面目な顔で返してやった。するとボリスは笑顔を引っ込め、急に懐疑的なおどおどした表情を浮かべる。

「え……?何、だとしたら、本気……?うん、まあ、いいや。どうせお前のことだから悪いようにはしないだろ。任務そういうことに関しては信用してる」

 分かればいい、というような素振りで、俺は眉根を少し上げてみせる。

 広場の数を見るに、大方の人員が集まったようだ。ついに何か始まるだろうかと、そわそわとこちらを向き始めている。ボリスは大げさな身振りで、演技めかして俺の肩を叩いた。

「そんじゃ将軍様、出兵前の名演説を。歴史に残るやつをお願いな。みんなが待ってるぜ」

 俺は無言でうなずいて、手長公の台座の段に上った。おあつらえ向きに、広場には俺達以外の人間はいない。冷え切った空気を肺一杯に吸い込み、俺は声を張り上げた。

「諸君!」

 残響が霙のカーテンを震わす。無数の目が一斉に俺を見る。

 そのひとつひとつを真っ向から見返し、俺は檄を飛ばした。

「覚悟は決めたか?これから、いつ終わるとも知れない闘いが始まる。なるべく早く終わらせるつもりだが、戦争にそんな都合のいい観測など通用しない。なにより俺達は今この瞬間から、もはや厄介者ではなく、国賊になる。生き残れども諸手を挙げて歓迎されるわけではなく、野辺の塵となれば容赦なく嘲られ、家族や親しい者共々汚名を被ることになるだろう。名誉よりもはるかに多くの、苦しみと不名誉が待っている。だから、逃げたい者は逃げるがいい。今からでもお前の望む道に帰れ。誰もそれを責めたりはしない」

 誰も、動く者はいなかった。

 俺は内心安堵して続けた。

「これから俺達がやろうとしていることは、正義でもなんでもない。この反逆が成功しようがしまいが、俺達は少なからず、人殺しとしてその名を語られる。感謝されようだなんて思うな。自分が正義だなどと驕り高ぶるな。ただ己の手が犯すことを真っ向から見つめ、自らの果たすべき責務を、斃れるその瞬間まで問い続けていけ!」

 無数の目が輝きを増し、ある者は何度も強くうなずく。

 俺はそこでしばし言葉を止め、初めは考えていなかった一言を付け加えた。

「そして、出来ることなら生き延びろ。地を這い、何かを失い、屈辱の泥にまみれることになっても、“死”という逃げを簡単に打たないでほしい。終わった時に一度だけ、全員で共に笑って祝杯を上げること、それが今の、俺の唯一の望みだ。共に闘おう。新しいこの国を生きよう!!」

 そう言って締めくくると、軍団が一気に沸いた。そうだそうだと声を上げ、場違いな拍手が銃弾の雨のように飛び交う。しかしそれはすぐに収まり、皆静かな目をして、無言のまま通りを進み始めた。誰が命じたわけでもなく、皆一つの目的に向かって、同じ方向に歩む。まるで一つの生き物のようだ。

 しばらく隊列を見守る俺に、ボリスが近寄ってきて、再び肩を叩いた。

「結構良かったじゃん」

「丸投げしておいて随分と偉そうだな。まあお前は文才も弁論術もないから任せられんが」

「はいはい。御旗を担ぐにはそれなりの器がいるってんでしょ。分かってますよ」

 すべてお見通しとばかりに、戦友はにやりと笑って隊列に目を戻した。しかし、ふと首をひねると、再びこちらに向き直ってこう尋ねた。

「……ところでさ、こういうこと考えてたのは前々からだったかもしれないけどさ、なんで今、急に思い立ったの?」

「……」

 そういえばなんでだろう、と、こちらもふと答えに詰まった。このところ“準備”に追われていて、大義名分すら考える暇がなかった気がする。

 上手い説明を探しているうちに、ボリスが俺の荷物の一部を指差した。

「なんだ、こんな時まで持ってきたのかよ?」

 俺は思わず背中側を振り返った。“何を”という主語もないのに、長年の習慣で何のことを言われたのかを悟った。

「ああ、これか。なんだか捨てられなくてな」

 言いながら古いホルスターから、銀色に輝く玩具を取り出した。

 それは、かつて今より未熟で若かった俺が、手足以上に使い倒していた道具――――ベイブレードの一機、ウルボーグだった。左手に握ったそれを覗き込み、ボリスは不遜な態度でうなずいた。

「へぇ~、意外とセンチなところあるじゃん」

 流石に殴ってやろうかと思ったところで、ボリスは照れくさそうに笑いながら何かを取り出した。

「……でも実はさ、俺も。もう使わないのなんか分かりきってるのに、なんか持ってきちゃったんだよな~」

 同じくポケットから取り出された右手に、青緑色の翼の輝く、見慣れた奴の愛機ファルボーグがいた。

 ボリスは薄日にかざしたそれを眺めながら、苦い思い出のある写真を見返すかのように言った。

「懐かしいなぁ。思えば俺達、これでヴォルコフあいつの言いなりになって破壊活動に勤しんだり、世界を危機に晒したりしてたけどさ、あの頃は……まだ平和だったなぁ。だってさ、国の違いでお互い殺し合ったりはしなかったし」

「直前に湿っぽいことを思い出させるなよ。それに、どのみちもうすぐ終わる。俺達が終わらせてやる。そうしたらまた好きにバトルできるさ」

 蘇ってきた苦さを断ち切るべく、俺はわざと遠くを見て、強く言い切った。通りの向こうに、幼かった自分の幻が見えたような気がした。

 そうして喋っているうちに、あることに思い至った。

「そうだ……ヴァレーニエだ。それとベイブレード」

「は?なんでその二つ?」

 怪訝な顔をする戦友に、俺はあの朝の出来事を話した。

「この間、朝飯に用意してたヴァレーニエを食いそこなったんだ。ちょうど開戦した日だ。塗ったところでテーブルに引っくり返しちまってな、せっかくフランス産のいいやつを買ったってのに」

「……俺たちはお前の不機嫌で反逆の使徒になったってわけ?」

「そうじゃない」

 大義の火種がそんなちっぽけな理由か、と言いたげな戦友を、俺は遮った。

「その時思ったんだ。俺はごみ溜めからようやく這い上がって、こうしてたった数ルーブルの贅沢を味わうことにすら四苦八苦してるのに、上の方の奴らは、今ものうのうと数段いいものを食いながら、チェスでもやるみたいに、人の生き死にを眺めてやがるのか、と。……そう思うと、なんだか無性に腹が立ったのさ。戦争を決めた馬鹿どもは一切血を流さずに、今も無数の“俺達”を作り出そうとしている。いつまで経ってもすべての子供たちがヴァレーニエも食えない、近所の悪ガキと転げまわって、のびのび遊ぶこともできない、それどころかその犠牲者をますます増やそうとしている、この国は一体何だ、ってな」

「やっぱりお前の不機嫌が発端じゃん。そんなくだらないきっかけだっての?」

 ボリスは呆れたように腕を組んで宙を仰いだ。

「戦争の始まりってのはいつだってくだらないものだろう」

「まあな」

 間髪入れずに言い切ると、彼は苦笑いして肩をすくめた。

「ま、俺も同意見だよ。もうこの国の次世代に辛い思いはさせねえ。しょーがねえから今回も付き合ってやるよ」

「当たり前だろう。嫌だニェットって言われてもお前は逃がさないつもりだった」

「うわ、怖ぇ。まったく“赤毛の闘神”様は横暴だねぇ」

 そんな変わり映えのしない冗談を交わしながら、俺達は隊列に加わって歩き始めた。

 霙の勢いは少しずつ増し始めた。それなのに、雲は薄れて絹のような光が所々に差す。吉兆なのか、それともより深い絶望へと誘う凶兆なのだろうか。

 隊列の誰かが『明日なき世界』を歌い始めた。共鳴する歌声は一つ、また一つと広がり、やがて大きな合唱団になっていく。

 シュプレヒコールを唱えながら、反逆の隊列は街を進む。

「なあ、革命が終わったらさ、久しぶりにお前と一戦交えていい?」

 歌声と足音の中で、ボリスがひっそりと尋ねた。

「そうだな。考えておくよ」

 俺がそう答えると、ボリスはあの頃そのままに顔を輝かせて、手を打った。

「やった!なんたって俺、お前に勝たないうちは絶対死なないって決めてるからな~」

「縁起でもないこと言うな!!それと、俺もお前に負ける気などさらさら無い。勝ちたきゃ俺より強く生まれ変わってくるんだな」

 たしなめるつもりでばっさり斬ってやると、ボリスは面白くなさげに眉をひそめた。

「それもあんまりひどくない?……バカだな、死なないよ、絶対」

 最後の一言は、いつになく真剣な横顔で繰り出された。半分影が差した瞳に、何かを射貫くような強い輝きが走る。

「……そうか」

 その重さに似合う返しが見つからずに、俺はそれだけ答えた。

 隊列が無名戦士の墓に差し掛かる。

 雲間から差す一筋の光が、これから血に染まる荘厳な建物を照らしている。

「そろそろ開戦だな」

「そうだな」

 確かめ合うように、お互い一言だけ交わした。

 それからボリスは歯を見せて、遊びの約束でもするみたいに言った。

「じゃユーリ、またあとで。約束忘れるなよ!」

 そうして風のように、たちまち曇天の向こうへ駆けて行ってしまった。

「ああ、また。……無事でな、ボリス」

 ふと、念を押すように付け加えたくなったのは、また“当たり前の明日”が来ることへの、ささやかな祈りからだったのかもしれない。

「指揮官」

 戦友の背中を見送る俺に、部下の一人から声が掛かった。

「分かっている。……俺達も行くぞ!!続けっ!!」

了解(ダー)!!」

 万雷のような鬨の声が、広場の重く冷たい空気を震わせて響いた。