槿花一朝のヴァレーニエ - 1/4

※露チームリーダーとメンバー(と、世界のライバルたち数名)

※未来(成人後)妄想捏造。時系列がおかしい。

※戦争・殺人を示唆する描写あり。特定の政治的思想の表明に見えるかもしれない。不快な場合は即ブロックするかブラウザバックで逃げてください。現世とはたぶん別世界の話。


 俺がその報せを聞いたのは、ちょうど粗末な朝餉を整え、苺のヴァレーニエを塗ったパンを口に入れた時だった。

 

 その、飛び込んできたニュースがあまりにも衝撃的で、俺としたことが、思わず変な声を出して食べていたものを取り落としてしまった。

「……正気か?」

 誰に対しての言葉だったかは知らない。だが型落ちのブラウン管テレビは、淡々と現実を映し出している。黒煙と戦車の群れ、そして逃げ惑う人々。

 愛国心などさらさら持ち合わせていないが、まさかこの国がここまで馬鹿だったとは。胸の内で皮肉を吐きながら、首筋を冷たい汗が流れるのを感じた。

 国営テレビのキャスターは淡々と喋り続けている。我に返り、手元の惨状に目をやる。もはや赤くべとべとした、不愉快な汚れとなってしまったそれを見る。苦々しく思えたのは、テーブルが汚れたせいだけじゃない。

 こうしてはいられない。

 どこかの大馬鹿が早まったせいで、こちらも今すぐ行動を起こさなくてはならなくなった。血のせいだか名前のせいだか……この運命はいつだって、貴重な一日の休日すらも許してくれない

 小さく悪態をつきながら引っくり返ったパンを拾い、血痕みたいに飛び散った苺を拭き清める。拾った残りは急いで口の中に押し込む。味なんて分かったもんじゃない。せっかくいつもより、少し上等なものを買ったのだが。

 路上生活時代みたいだな、なんて、思った瞬間にまた苦々しさが蘇った。冷静さを取り戻すために、あえて深く椅子に座り直し、ゆっくりとコーヒーを流し込んだ。

 椅子にもたれて、レーションよりはましな黒液を啜る。窓の外は曇天。ここはまだ砲声も悲鳴も聞こえてこない。薄日に照らされながら安物の芳香アロマに浸っていると、柄にもなく様々な思いが去来していった。急に広くなったような北向きのダイニングで、俺は最後のわずかな余暇を享受した。

 情勢は、日一日ときな臭くなっていく。

 とはいえ帝政時代からの独裁を引きずるこの国が、本当の事なんざ教えてくれはしないが。テレビも新聞も、映し出すのはもはやプロパガンダばかりだ。早々に遮断し、専らネットから情報を取るようになった。それもいつまでお許しになるかは分からないが、まあ、遮断されたところでいくらでも手はある。

 そろそろあのテレビごとお役御免だな、と考えていると、つい先ほど手放した筐体が鳴った。

「火渡?」

 思いがけない名前に、思わずその音が口をついて出る。

 発信元は久しく会っていない極東の―――――友と呼んでも差し使えない程度の奴だった。こんな時に何用だろうかと思いつつ、急いでスマートフォンの通話ボタンを押す。

「あー、もしもし、俺だ」

「なんだ。もう死んでて繋がらないかと思ったが」

 開口一番に俺以上の皮肉で腹が立つ。こいつとの通話はいつもこんな調子だ。生まれついてのお坊ちゃんとやらは、どいつもこいつもみんなこう尊大なのだろうか。……俺が言えた台詞じゃないが。

「そうじゃなくて残念だったな。お前の暗殺を負いかねない一番のリスクが、未だ健在というわけだ」

「フン」

 皮肉で返してやると、電話の主は気に入らなげに鼻息をついた。

「ところで西側の一大グローバル企業の社長が、こんな仮想敵国のしがない軍人と喋ってていいのか?火渡エンタープライズとて無関係じゃあるまい。国をまたぐ取引は大変だろう」

「お察しの通りだよ。制裁と飛行制限と通行制限のせいで、こちらも商売あがったりだ」

 俺が問い返すと、火渡は相変わらず憮然とした口調で言い放った。流暢なロシア語には、今も少しも陰りが見えない。

「……それで、お前はどうなんだ」

「どうって?」

 油断していると、唐突に曖昧な質問が飛んできた。意図が読めずに問い返すと、火渡は憮然とした調子で続けた。

「これからの話だよ。……加わるのか、そうじゃないのか」

「……あー」

 “何に”加わるかは一言も言われていないのに、何が言いたいのかは察しがついた。火渡こいつをはじめとする極東の連中と付き合っているうちに、俺もだいぶ“日本的”になってきているらしい。

「……仮に向こうに協力するって言ったら、お前はどうするんだ」

「…………何も」

 わざと真意を伏せた言い方で答えると、向こうも歯切れの悪い言葉を返してきた。電話の向こうで、火渡は一拍の間とため息を置いて続ける。

「ただ、今までと同じような関係ではいられないな。立場的にも、俺個人としても」

「だろうな」

「おい、それだけか?」

「何が?」

 再び問い返すと、火渡はどこか苛ついた調子で、含みのある言い回しを続けてきた。まるで理性と本心の境界を、逡巡しながらさまよっているように。

「……お前、腐れ縁とはいえ、これだけ付き合いのある相手が尋ねてるんだぞ。言っただろう、事と次第によっては今までと同じ関係ではいられないと。戦争なんだからな。それを、お前ときたら……明日の天気でも話すみたいに、『だろうな』一言で終わりか?もっとこう、何かないのか。結局どちら側につく気なんだ」

 ぶっきらぼうな声色の裏には、字面よりも多くの感情が含まれている。それを汲み取りつつも、今度はコサックの本領をいかんなく発揮してやる。

日本人イポーネツは回りくどくていかんな。国に協力して参戦したら絶縁だ、と言えばいいのに」

「お前は身も蓋もなさすぎる。そして嘘つきだ」

 負けじと武士のごとく袈裟斬りにされて、少々とさかに来る。

「なぜそう思う」

「何か企んでるだろう」

 すかさず撃ち込まれた寸鉄に、腹の底が一瞬ざわつく。他人のことなど気にしていないようでいて、こいつは妙に鋭い。真意を気取られないように、冷静に言葉を選んで話し続けた。

「俺が国側につくとしても、それは俺の権利であり、ある意味義務だ。残念だが、そこまでお前に止める権利はないよ。たとえ俺達が、仮想敵国以外の何かだったとしても」

「……それもそうだな」

 至極当たり前のことを言ってやると、それで火渡は納得したようだった。あきらめたように、それきり言葉を失くす。電波と八千キロの距離を隔ててなお、明らかに落ち込んでいる様子が分かる。その甘さ、よく言えば思慮深さは、昔のあいつにはなかったことだ。二十数年の時間は、俺達にそれなりの深みを与えたらしい。

 そう考えると妙に可笑しくなって、わざと冗談めいたことを言いたくなった。

「はっ、願わくばずっと友人でいたいってか?ありがたいじゃないか。お前も感傷的なことを言うんだな」

 すると電話の相手は今度こそ怒り出した。あの頃そのままに、火矢のごとく言葉が飛んでくる。

「勝手に人の心情を代弁するな!お前はやっぱり無遠慮が過ぎる、少しはデリカシーや礼儀というものを身につけろ!まったく……忙しいからもう切るぞ。……これが最後かもしれんな。じゃあ、達者で」

「ああ。お前もな」

 付け足された一言の後、そっけない電子音を残して、電話は切れた。

 元通り黙り込んだスマートフォンを片手に、俺は窓の外を見た。

「……最後、か。そうならないようにするつもりだが」

 今日の空は嘘みたいに青く晴れている。はるか東の方も同じ天気だろうか。

 相変わらずモスクワは静かなものだが、遠くからかすかに、デモ隊の叫び声と怒号が聞こえる。

「すまんな火渡。お前は機密を漏らすような下賤な人間じゃないと知ってるが」

 独り言を言って、唯一陽の入る出窓に寄りかかる。

 ……本音を言えば、友情を抜きにしても、世界に名だたる火渡エンタープライズの財力を借りられたらどんなにいいか、などと現実的なことを考えたりもする。が、そんなこと言おうものなら、今度こそ『無遠慮』や『デリカシーがない』なんて評価だけじゃ済まないだろう。

 ロシアのことはロシア人の手で解決すべきだ。それに、本当に“最後”にならないようにするためにも、今ここで、部外者に計画を話すわけにはいかないのだ。

 どのみちこちらは生まれついての日陰者、目的を達成するまでは、今しばし、孤独で冷酷な男として生きるのみ……などと考えていると、再び筐体が鳴った。

 画面を見ると全く知らない番号だった。訝しみつつも、仕事の依頼かもしれないと思って電話を取った。

「もしもし」

「おい!この冷酷非情なロシア人!他国を侵略して踏み荒らしてどういう了見だ、ウクライナの人に謝れ!!」

 二の句を継ぐ前に怒号が飛んできた。耳障りなアクセントのある英語だ。筐体を耳から離して、なるたけ冷静な声で言った。

「いきなり怒鳴り込んできて一体どこの誰だ。依頼か?それとも迷惑電話か?まず名を名乗れ」

「ジョニー・マクレガーだ。忘れたなんて言わせないぞ」

 電話の向こうの相手は、当然知っているだろうと言いたげに憤慨する。その尊大な態度と訛りの英語を元に、ぼんやりした記憶をたどってようやく思い出した。

「ジョニー……ああ、英国アングリヤの腰抜け騎士か。この番号をどうやって知ったんだ」

「なんでもいいだろ」

 尋ねた答えをマグレガーははぐらかした。……この野郎、一度も俺に勝てなかったくせに、言いたいことだけ言っておいて、こちらの質問には答えないとはいい度胸だ。そう思ったが、思うだけに留める。どうせ繋がりのある奴らから人づてに聞き出したんだろう。それに、卑劣なことならこっちも働いたことだし、その点でも少し分が悪い。

「……まあ、お前のスパイ行為の詳細なんかどうでもいい。だがその批判はいささか的外れというものだ。だいたいこんな戦争を、俺が始めたくて始めたと思うか。国一個どころか、自分の会社一つ動かすので手一杯だってのに」

「えっ、そうなの?」

 俺がそう答えると、マグレガーは素っ頓狂な声を出した。本気で俺が開戦に絡んでたみたいな声色だ。なんて世間知らずな人種なんだろう、お貴族様ってのは。どんな短絡的な思考してるんだ、小学生か?

「俺に当たりたいなら邪魔だ、帰れ。こっちは忙しい」

「あっ、ちょっ、待――――」

 返事を待たず、もう一度そっけなく電話を切った。人間というものは本当に面倒くさい。