日々、ただ、善き哉。第四話 ~脱出、その2~ - 1/5

※「きかんしゃトーマス」及び「汽車のえほん」に出てくる11番とブレーキ車の小説。擬人化設定。人によっては腐向けと取れる描写あり。その他、キャラ崩壊、設定の矛盾、原作との相違などなど、危険を察知した方は今すぐ方転して全速で脱出です!


 それは雪も解けだして、あとは暖かい春を待つばかりになったある日のことだった。

「トード……具合はどう?」

「はぁ……あんまり、よくないです……」

「そう……」

 僕はため息をついて、ベッドに横たわったままの彼を見つめた。

 このところトードの調子が悪い。どこに問題がある、とはっきり言えるわけではないのだが、最近どうも僕についてくるのだけで精一杯、といった調子で、ブレーキの効きもいまいちになっていた。

 本体である機関車や貨車のコンディションは人間形態にも反映されるらしく、家に帰ってからの彼も、ずっと原因不明の体調不良で寝込んでいる。事情をよく知っているお医者さんに診てもらったが、どうも良くならない。やっぱり本体のブレーキ車の方に問題があるとしか思えなかった。

 トードはすぐに目を閉じてしまった。苦しそうな息をついている。濡らしたタオルを取り換えるついでに、そっと額に触れてみた。

 熱がある。蒸気機関車じゃないのに……。いや、今の彼は人間なのだから当たり前か。いったいどこが悪いのだろう、皆目見当もつかなかった。僕にできるのはただ、ブローズさんたちに教わって、こうして熱を冷ましたり暖かくしてやることだけだ。

「ごほっ、げほっ……ごめんなさい、オリバーさん。何にも出来なくて」

 この期に及んで彼はそんなことを心配している。何もできないのは、僕の方なのに……。

「いいってば。そんなこと気にしないでよ。君は早く体を直してくれ」

 新しいタオルを彼の額に置いて、僕はトードを静かに休ませるべく部屋から出て行った。

 仕事には僕ひとりで出かけることにした。

 幸い今週はそれほど重い貨物があるわけでもなかったので、大半はダルシーと過ごし、必要な時はトード以外のブレーキ車を借りれば何とかなった。ただ、彼がいないとなんだか一日が味気ない。合間に喋ることもできないので、僕は何か、胸の中の大事な部分が欠けているような気がしていた。

「君、今日はなんだかぼんやりしてるよ」

「あ、ああ……ごめん」

 ダックに指摘されて初めて自分が不注意なのに気付いた。この調子では危うく事故を起こしかねない。僕は気持ちを引き締める。

「……トードのことが気になるのかい」

 彼は心配そうに尋ねた。

「ちょっとね。……でも、すぐに良くなるよ。貨物の時は別のブレーキ車がついてくれるから、何とかなるし」

 僕はつとめて何でもないという風に明るく振る舞ったが、ひとりきりになると急に不安になった。

(トード……大丈夫……だよね?)

 何をしても良くならない彼のことが、ふと頭をよぎった。理由も分からず、弱り切って、今もベッドでひとり寝ている――――、

「こら!オリバー、何ぼけーっとしてんだ!早く行け!」

「えっ?……あ、すみません!」

 ブレーキも緩めたのに走らない僕をブローズさんが叱った。

 僕は慌てて現実に舞い戻り、自分の仕事を再開した。

 それからはどうにか無事に仕事をこなし、残るはアールズバーグ・ウェストへの折り返し最終だけになった。

 時間待ちの間、操車場の端で休憩していると、黒い煙を吐いて、にやつきながらディーゼルがやってきた。

「よう、今日はひとりか?恋人がいないと元気がないな」

「心配してくれてどうもありがとう。その認識が合ってるかどうかは別として」

 無礼なからかいを投げかけられたので、同じく皮肉でいなしてやった。会話を続ける気など最初からない。

「トード、悪いんだって?」

 彼は懲りずに続けた。

「君には関係のない話だ」

 この間のことがあるので、僕はディーゼルをはねつけた。彼のことだから弱味を見せたら、またねちねちあげつらうに決まっている。

 ディーゼルはにやついた笑みを消さずに言った。

「ふん……冷たいな。自分はハット卿に大事にされるからって、相棒にもそんな態度で当たってるんじゃねえの?」

「どういう意味だよ」

 棘のある言葉が引っかかり、僕は思わず彼の方を見てしまった。ディーゼルはしてやったりと笑う。

「蒸気機関車は大事にされるけど、ブレーキ車はどうかな?GWRの16トンなんて確かにとんでもない年代物だが、言ってみれば単なる貨車だ、代わりなんかお前以上にいくらでもいる」

「なんだと!あまりに暴言が過ぎるぞ!口を慎め!」

 あまりに失礼な言葉に、僕は激昂して声を荒げた。言うに事欠いて、「トードの代わりがいくらでもいる」だなんて、許せない。

 トードは僕にとってひとりしかいない大切な存在だ。大西部鉄道にはたくさんの「ブレーキ車(Toad)」がいたけれど、僕にとっての「トード」は彼だけしかいない。古いのも彼の立派な個性だ。僕と同じぐらい、大事にされてしかるべきだ。

 だけどディーゼルは反省の欠片も見せずにけろっとして言った。

「事実を言っているだけだよ。考えてもみろ、あんな木製で百年近く経ってるんだぞ?向こうももうお前のお守りなんて疲れただろう。ゆっくり休ませてやった方がいいんだよ。……俺は分かるね、あいつはきっとスクラップにされる。可哀想だな、お前の代わりに」

「ブレーキ車だって、重要な遺産だよ!ハット卿はそんなことしない!鉄道は僕らだけで成り立ってたわけじゃない、それにトードは役に立つんだ、どんなに古くたって」

「どうかな」

 僕は抗議したが、彼は悪びれずこう言った。

「お前がそう思っていても、世の中にはそうでもないってことさ」

 そしてとどめの一言を放った。

「お前ら、それで捨てられたんだろうが」

 ぐっと言葉に詰まった。

 胸の中に潜んでいた深い傷をナイフで(えぐ)られたような気がした。

 そうだ。まったくその通りだ――――あの頃僕らはもっと若く、十分役に立てたのだが、発展の波にそぐわないという、社会の都合で葬り去られたのである。そして人々の目は、彼らディーゼル機関車や電車に向いた。悔しいけれど、何も言い返す言葉が……なかった。

 唇を噛んでうなだれる僕を見て、彼はにやりと笑い、満足げにバックして駅から出て行った。それを追いかける気力も僕にはなかった。

 向こうの方でダックとディーゼルが言い争っている声が聞こえてきたが、その内容も頭に入ってこなかった。