喧騒から少し離れた所のベンチで、僕らは並んで腰かけてココアを飲んだ。
しばらくどちらとも無言だった。
「……待たせたこと、怒ってる?」
ふいにオリバーさんが手を止めて、うつむいたままつぶやいた。
「いいえ、ちっとも。そんなことくらい……」
僕はそう言ったものの、それから先はなんと言えばいいのか、妙に重苦しくなった雰囲気に押されて黙ってしまった。
僕らの背後ではまだ祭りの喧騒が聞こえる。それが余計に沈黙を引き立てている。
持て余した間をごまかすのも兼ねて、僕は冷たくなった指をこすりあわせた。
「手、真っ赤じゃない。寒かったの?」
目ざとくそれに気づいて、オリバーさんが尋ねる。
「ええ、ちょっと」
僕はついにそう言った。もういいかげん冷たくてちぎれそうになっていたのだ。熱いココアのカップを持っているのだけれど、あまり温かいと感じない(むしろ痛い)。
「だから言っただろ?手袋していくべきだって。はしゃいじゃって、僕の話をちっとも聞いてくれなかったんだから」
オリバーさんは怒った声で言った。向けられた珍しい感情に、僕は素直に反省する。
「ごめんなさい……でも――――はっ⁉」
僕は途中で言葉を止めた。オリバーさんが突然手袋を脱いで、僕の手を取ったのだ。急な出来事に、僕の心と声がひっくり返る。
「ほら、やっぱりこんなに冷たいじゃないか。いつもの鋼鉄と木材の体だったら凍ってしまう温度だよ。……繋いでたらちょっとは寒くないよ」
彼はそう言って、僕より細く長い指で、冷えた僕の指先を包んで何度も揉んでくれた。
完全に防寒していただけあって、彼の指はまだ熱を帯びていて温かかった。それは嬉しかった、のだが。
「あ、えええええ……でも…………他のみんなは誰もそんなことしてないですよ~」
たしかに寒くなかったけど、僕は動転してしまって真っ赤になり、口ごもった。何かすごく恥ずかしいことをしているような気がしたのだ。
するとオリバーさんは首を傾げ、僕に外した手袋の片方を渡しながら言った。
「どうして?いつも連結してるじゃない。それと一緒だろう?これはそっちの手に着けなよ。さ、行こう」
「あ~……でも……」
僕は言い返そうかと思ったが、途中でどうでもよくなってやめた。
(でも、まあ、いいや……それに本当に、あったかいし)
雪の中で触れ合う手のひらは、不思議な感触だった。鉄でもない、木でもない、そしてオリバーさんの体温が、直に僕の肌に伝わってくる。
(……人間の……オリバーさんの手って、どうしてこんなに温かくて、柔らかいんだろう)
僕はそんなことを思いながら、彼について歩き出した。
僕らは一双の手袋を分けっこし、空いた手を繋いで雪の中を歩いた。
夜はとっくに更け、街灯もない山の道にはとっぷりと黒い闇が溜まっていた。反射する雪明りだけを頼りに、僕らは仄白い帰り道を歩く。積もった雪に、隣を歩くオリバーさんの姿も白く照らし出された。吐かれる息の淡さも相まって、とても幻想的に見える。だけどその表情はどこか冷たくて怒っているみたいで、僕は少し、不安になった。
さっき言われたディーゼルさんの言葉がずっと気になっていた。
(男女の仲でもないのに、いつもいつも一緒にいやがってさあ……さすがに度を超えてるんじゃねえの……疑われるぞ。お前ら異端だ)
僕自身は彼の側にいることが嫌とか、そんなことは断じて考えていない。むしろ出来る限りずっと、一緒にいたいと思っている。だけど……彼は、本当はどう思っているんだろう。
よく分からないが、本物の人間はこんなことはしないらしい。僕らほど仲良くするのは、普通は”恋愛”関係にある男性と女性がすることで、同性同士である僕らが、こんなふうにするのは、変だと……。
正直、僕にはどうしてだか分からない。僕はずっと彼と一緒だったから、ごく当たり前だと思うのに……。別に傷つけあっているわけでも、誰かに迷惑かけているわけでもないのに、どうしてそこまで言われなくちゃならないんだとも思う。
僕はオリバーさんが好きだ。だけどそれは人間の言う”恋愛”とは少し違う気がする。ただ、一緒にいて、いろんなことをお喋りしたり楽しく笑ったりしていたいだけ。彼といると、なんだか温かい、優しい気持ちになれる。ひとりのときよりも”僕”でいられる。それを何と呼ぶのかはまだ僕は知らないが、今さらそれを失いたくなんてない。でも、それは僕の勝手な一存で、その影響が彼にまで及ぶなんてことは、僕自身が許せないだろう。
――――彼はこんなに僕の側にいていいんだろうか?
今までそんなこと考えもしなかったのに、ふと、そんなことを思った。自然と足が重くなる。
これからも一緒にいれば彼が何か変な目で見られるかもしれない。彼自身、はっきり僕と暮らしたいと言ったわけでもない。何と言うか、今までも一緒だったからって自然発生的にそうなったんだけど、彼の望んでいたことは、そうじゃなかったのかも…………。
本当は迷惑だけど、僕に気を遣っているだけかもしれない。そう思うとなんだか虚しくなってしまった。
「オリバーさん……」
引っ張られるようについて歩きながら、僕はつぶやくように、彼に尋ねた。
「何だい?」
すぐに隣を歩く彼から返事が返ってきた。僕は彼には目を合わさずに尋ねた。
「僕らって、おかしいんでしょうか」
かすかに彼が息を呑む気配があった。言葉と白い息が一瞬止まる。ほんのわずかの間ののち、彼は少し厳しい声で喋りはじめた。
「何言ってるんだよ。おかしくなんかないよ。……そりゃあ、喋って考えて人間になれる機関車や貨車なんてめったにいないかもしれないけどさ」
「ふふっ、そうですね」
いくぶん冗談めかした言葉に、僕は思わずくすりと笑う。オリバーさんは真っすぐに僕を見て、はっきりした口調で続けた。
「それで何か変なことがあるの?ずっと一緒だったんだから、別に人間になったって一緒に暮らしてて構わないだろう?だって、僕は君といるときが一番楽しいからさ」
「え――――」
僕はびっくりして思わず手を離してしまった。そのままの格好でその場に置いて行かれる。
オリバーさんが振り返った。
「……本当ですか?」
馬鹿みたいに立ちすくんだまま問うた僕に向かって、オリバーさんは優しく微笑んで言った。
「もちろん。今日は一緒に雪祭りに来られて楽しかったよ」
それを聞くと、僕は何だか胸がかあっと熱くなって我慢できなくなり、答える代わりに足元の雪をすくって丸め、オリバーさんに投げつけた。
「――――えいっ」
――――バシッ!
「いだっ」
完全に不意を突かれたオリバーさんは悲鳴を上げた。そして怒った顔で振り向いた。
「何するんだい!いきなり!」
雪まみれになった顔で僕を見ている。その姿がまた妙に心をくすぐって、僕はわざと意地悪そうに言って再び雪玉を握った。
「僕を待たせたお返しです!ほんとに寒くて心細かったんですから、せめてちょっとだけでも味わわせてあげなくちゃ不公平ですよね!それっ」
「やったなー、それなら僕もお返しのお返しだ」
するとオリバーさんも乗ってきて、同じように雪玉を作って投げつけてきた。
夜の闇の中で、ふたりだけの雪合戦が始まった。勝ち負けなんてない、けれどどちらも無心ではしゃぎまわった。最後にはもうただの取っ組み合いになり、互いに雪の上を転がって、とうとう大の字になってひっくり返った。
「あー楽しかったー」
オリバーさんが息を弾ませながら空を仰いで言う。
「はい、なんだか寒いのも忘れちゃいました」
僕も、火照った体を雪の上に横たえて彼に言った。積もった雪がひんやり冷たくて気持ちいい。
「雪遊びってこんなに楽しかったんだね!ほんとにトード、君の言うとおりだよ!」
子供のように無邪気に目を輝かせて、彼は満面の笑みで僕に言う。それを見て、僕はもう先程までの重苦しさも気まずさも忘れていた。
「そんなに喜んでくれて、なんだかもっと嬉しいですよ」
その時、再び白いものが闇の中に舞い出した。
「あっ、また降ってきた」
僕らは立ち上がり、しばらく無言でその様子を眺めた。
「綺麗……」
石炭のような真っ黒い空から降りてくる雪は、先に積もった白い光に照らされて、まるで星の欠片みたいだった。手のひらに受け止めようとすると、すぐに溶けてしまう。手袋に乗った方はまだしばらく形を保っていて、僕らの吐く息に震え、静かなはかない光を放っていた。
「僕はきっと、この日のこと、絶対忘れないよ。……死ぬときになっても」
オリバーさんは空を見上げたまま神妙な口調で言った。
「僕もです。本当に夢みたいだ」
僕もそう言って、しばらくこの不思議な美しい光景を眺めていた。
やがて、どちらからともなく無言のまま歩きだした。雪は、あとからあとから僕らの上に降りてきていた。
「来年もまた来ましょうね」
「うん」
僕らは手を繋ぎ、家路についた。
おしまい。