日々、只、善き哉。 第三話 ~トードの雪遊び~ - 2/4

「「はーくしょん!」」

 それから雪合戦は三十分近くも続いた。子供たちの方も僕らと雪合戦をやるのが初めてで嬉しかったらしく、四方八方から集中砲火を浴び、終わった頃にはふたりとも雪まみれで凍えきっていた。

 焚かれていた火に当たりながら、僕らは凍えた体を温めた。

「せっかく防寒対策してきたのに、びしょ濡れになっちゃった」

 マフラーや帽子を乾かしながらオリバーさんが言う。

「ちょっと張り切りすぎました……」

 僕も鼻をすすりながら、残っていた雪を払い落とす。

「でもなんだか楽しかったよ」

 ふと、オリバーさんがにっこりと微笑んで言った。

「そうですか!よかったです」

 半ば無理やり誘ってしまったが、彼にそう言ってもらえて嬉しかった。

 日がだんだん暮れてきて、寒さも少しずつ増していく。あちこちでランタンの明かりが点り、冷たい青い影に包まれた会場が温かいオレンジに染まる。

「寒いねえ……」

 白い息を吐き震えながら、オリバーさんがつぶやく。火の側ではあるが、やはり当たっていない部分が寒い。

 彼は寒そうに、きつく外套を巻きつけて身震いした。それから、急に思いついたように僕を振り返ってこう言った。

「そうだ、何か温かいものを買ってくるよ。何がいい?」

「えっ、そんな……僕が行きますよ」

 僕は慌ててそう言った。しかし、オリバーさんはまたにっこりと微笑んで僕を制した。

「いいよ。いつもお世話になってるし、こんな時ぐらい、僕がお返ししなくっちゃ。君はいろいろ眺めながら待っててよ。楽しみだったんだろう?」

 そう言ってくれたので、僕も今回はお言葉に甘えることにした。

「それならお任せします。この辺で散策してますね」

 僕は笑って彼に告げた。

「分かった。すぐ戻るね」

 オリバーさんはそう言って、お祭りの雑踏の中へ消えていった。

 僕は体を温めがてら、ひとりでぶらぶらと出し物や雪像を見て回った。

「すごいなー、どれも良く出来てる」

 芸術家顔負けなんじゃないか、なんてぐらいのすごい作品も出ているし、子供たちが作ったのも、それはそれでなかなか味があって可愛いものだった。毎年横を眺めるだけだとなかなか気づかないものである。

(あの出店は面白そう、あ、あの雪だるまはすごいなあ……僕らが突っ込んだのもすごく大きかったけど、やっぱり中からじゃなくて外で眺めるものだよねぇ)

 いいなと思ったものはあとでオリバーさんにも教えてあげよう、と思いながら回っていると、不意に人ごみの中から素っ頓狂な声を掛けられた。

「あれぇ、トードじゃない!こんなところで会うなんて、奇遇だねぇ」

 妙に聞き覚えのあるその声に振り向くと、そこには緑のダウンジャケットを着たその人が立っていた。

 僕は驚いて声を上げる。

「ダックさん!珍しいですね。今日、仕事はいいんですか?」

 声の正体は僕らの同僚、NWR8番にして同じ大西部鉄道出身の”モンタギュー”―――――通称ダックさんだった。ドナルドさんやダグラスさんほどではないが、彼はあまり人の姿を取らないタイプだ。正確に言うと、僕らと同じくアールズバーグ・ウェスト駅近くに家も借りているのだが、「どちらの姿にもこだわりがあるから」と、双方半々ぐらいで過ごしている。仕事の都合上帰る時間がいつも同じわけではないので、必然的に人の姿の彼を見かけることは少なかった。その彼が珍しく私服姿で、しかも、まだ仕事が続いてるであろう時間帯に出歩いているものだから二重に驚いたのだった。

 僕の疑問に、ダックさんは苦笑しながら答えた。

「今日は豪雪で線路も埋まって動けないからさ、僕らも結局お休みだよ。仕方ないからもののついでに、雪祭りに行こうかなと思って」

「そうですかー」

 僕はなんとなく安心した。……考えてみれば、常々「大西部鉄道流」を誇る彼が勝手に職務放棄などするわけがない。

 ダックさんは物珍しそうに、辺りをぐるりと見回しながら言った。

「実際に来てみると、やっぱり違うね。いつも横から眺めるだけだったけど、こんなに楽しいものだったなんて」

「そうですね、本当にその通りですよ」

 僕もそう答えた。やっぱりみんなそう言うものなんだなあ、と思った。

「ところでオリバーは?今日は一緒じゃないの?」

 いつも側にいるべき存在がいないことに気づいて、彼は尋ねた。僕らが常にセットだというのは周りのひとびとの共通認識らしい。

「あっ、温かい飲み物を買いに……いつも僕がお世話してばっかりだから、こんな時ぐらい僕が行くよって」

「ははは、相変わらずだなあ、君たちは」

 僕が答えると、彼はそう言って笑った。

「あの、ダックさんおひとりですか?せっかくですから、一緒に回りませんか?」

 僕は気を利かせたつもりでそう提案した。彼とは僕らふたりとも同僚の枠を超えた親友だし、大勢で回った方が楽しいかなと思ったからだ。

 しかし彼は笑って手を振り、辞退の意を示した。

「いやあ、僕はいいよ。たぶん他の路線のメンバーも何人か来てるだろうからさ、探してお喋りしてくるよ。じゃ、楽しんでね、トード。オリバーによろしく」

「はい、また明日」

 ダックさんはそのまま人ごみの中へ去って行った。

 それからまたしばらく、僕はひとりで彼を待った。

 少しずつ日は傾きはじめ、ついには完全に山の向こうへ姿を消した。

(はぁ……オリバーさん、遅いなあ……)

 彼はなかなか帰って来なかった。止まっていると寒いので、身をちぢこめ、何度か足を踏み鳴らしながら人ごみの方を見やる。

 この人の多さだ、きっと売店も混んでるんだろうな。……僕はそう思ったので、さして気には留めなかった。ただ、日が沈んだせいで急激に増してきた寒さには、どうにも耐えられなくなってきた。特にむき出しの手に関しては。

 雪合戦で散々冷たい雪に触れたこともあり、さすがに指先が冷えて痛くなってきた。息を吹きかけてこすりながら、僕はちょっと後悔する。

「うーん……やっぱり強がらずに手袋してくればよかった……貨車は手袋なんかしないから平気だと思ったけど、人間界にはあんなに便利なものがあるんだから遠慮なく使ったって――――」

「おや、誰かと思ったら、機関車オリバーの相棒のトード君じゃないか」

 そうつぶやいた時、僕の背後からひどいだみ声がした。

 これにも聞き覚えがあるが、今度はあまりいい気持ちがしない。僕は少し身構えた表情で、背後の彼を振り返った。

「ディーゼルさん……お久しぶりですね」

 目線の先にはこの島のクラス08ディーゼル機関車の一台――――通称”意地悪ディーゼル”さんの人間化した姿があった。僕の態度が気に入らなかったのか、面白くなさそうな表情を浮かべて僕に言う。

「ふん、相変わらずバカ丁寧なことだ……ところで、あいつは貨車たちに相当怖がられてるそうじゃないか。機嫌を損ねたらバラバラにされるって。貨車のお前が一緒に暮らしてて怖くないのかい」

「オリバーさんは怖いひとじゃないです!スクラフィーをバラバラにしたのだって、僕が言ったからで、もとはと言えばあいつが無礼だったからいけないんですよ」

 昔のことを引っ張り出されて、僕は真っ赤になって反撃した。彼の失敗に端を発した復讐劇は、いろいろと遺恨を巻き起こしたがもう過ぎたことだ。しかしディーゼルさんは、僕が怒ったのが思うつぼだとでも言いたげににやりと笑った。

「おやおや、美しい友情なこった。それとも友情以上のものがお前たちふたりの間にはあるのかな?」

「え……?どういう意味ですか?」

 すぐにはそこに含まれた意味が理解できず、僕は思わず彼に問うた。

「付き合ってるんじゃねえのかよ。普通男同士ではそんなことしないんだぜ」

 彼はにやつきながら僕に言った。

 名前を出さなくても、僕と誰の関係を指しているのかは容易に想像できた。顔が引きつるのが自分でも分かる。僕の反応を楽しむかのように、彼は続けた。

「仕事以外の時だって、いつもいつも一緒にいやがってさ。寮でも男女の仲でもないのに同じ家に住んでるし、さすがに度を超えてるんじゃねえのって噂になってるんだぞ。人間社会でお前らのような奴らのことをどう言うか知ってるか?〝ゲイ〟だ。男同士で愛し合ってるやつらのことをこう言う。機関車と貨車ならまだしも、人間同士でそんな仲良くしてたら疑われるぞ。要するに、お前ら異端だ」

「……」

 異端だとはっきり言われ、僕は押し黙った。

 人間化して一緒に暮らすようになった時から、僕は僕と彼を取り巻く周りの人の目に、時々好意とは違う何かが混じっていることに気がついていた。無論大抵の人や仲間たちは、僕らを微笑ましいコンビだと思っていてくれているようだが、中には怪訝な目で見て何事かを囁く人たちもいた。そんな目線は、今までの僕らは一度も感じたことがないものだった。

 機関車と貨車なら当たり前なのに、人間同士では何か違うらしい。気にしないつもりだったけど、いざ指摘されると何も言えなくなってしまった。

 俯く僕を見て、ディーゼルさんはまた不敵に笑う。するとそこへ、慌ただしく雪を踏む音がして、誰かが僕らの前に現れた。

「ディーゼル!君、また誰かに余計なことを言って、ちょっかい掛けてるのかい」

 さっき別れたはずのダックさんが引き返してきて、僕らの間に割って入ってくれた。来るなり怒った顔でディーゼルさんを止める。

「ちっ……誰かと思えばダックか」

 いつも張り合っている相手を見て、彼は舌打ちする。

「こんなところまで来て、誰かをいじめるなんて……本当に君は性根の腐った奴だ!トードに構うなよ!早く行けっ」

 憤懣やるかたないと言った顔で、ダックさんは毅然と言い放った。ディーゼルさんも彼を睨みつけて歯噛みし、負け惜しみのように、苦々しく捨て台詞を吐いた。

「けっ、頼まれたってこんな気持ち悪い奴らに構っていられるかい。あばよ」

 そしてきびすを返して去って行ってしまった。

 彼がいなくなった後、ダックさんが心配そうに僕に尋ねた。

「大丈夫かい?あいつに他にも変なこと言われたんじゃ」

「あ、いえ……大丈夫です。たいしたことないんです」

 急にそう問われ、僕は思わず何もなかったふりをしてしまった。ダックさんはそんな僕を見て、しばらく深刻そうに押し黙り、それから静かな口調でこう切り出した。

「……ディーゼルに言われたことなら、気にするなよ。あいつはただ、仲のいい君たちに嫉妬して負け惜しみを言ってるだけだ」

「ありがとうございます、ダックさん」

 僕はそう言って頭を下げた。少し泣きそうになったのは悟られないようにした。

 ダックさんは人ごみを見やりながら、また憤慨の表情を浮かべて言う。

「まったくもう、オリバーの奴、何してるんだ!君をこんな寒空の中で待たせて……おかげでディーゼルにまで絡まれちゃったじゃないか」

「そんな……もういいですよ……絡まれたのは言い返せなかった僕が悪いんだし」

 僕がそう言った時、向こうの方から待ちわびた声が聞こえてきた。

「おーい」

 人ごみをかき分けて、オリバーさんがやってきた。両手に湯気の立つ紙コップを抱えている。

「あっ、来た来た」

 僕ではなくダックさんがいらついた口調で言った。

「ごめん、遅くなっちゃって……すごい人でさ、だいぶ待たされ―――――あれ、ダック?どうしたの君?」

 頭をかきかき、謝りながらやってきた彼は、傍らに同僚がいるのに気付いて不思議そうに尋ねた。

 しかしダックさんはオリバーさんの質問には答えず、怒った顔で彼に抗議した。

「遅いじゃないか!トードはさっきからずっとここで君を待ってて、ディーゼルにからかわれてたんだぞ」

「えっ、あいつが来てたの?トード、それで何か言われたのかい?」

 周知の厄介者が来ていたと知って、彼も眉をひそめる。

 彼にも同じことを問われ、僕は慌てて否定した。

「あっ、べ、別に、何でもないです。スクラフィーの歌みたいな下品で子供っぽい悪口ですよ。聞き入れちゃいないです。あはは」

「そうかい?それなら別にいいけど……」

 オリバーさんはそう言ったけれど、まだ納得がいかないみたいだった。僕は気取られやしないかとひやひやした。

「日ごろの恩を返すのもいいけどさ、もっと大事なことに気をつかってあげなよ」

 ダックさんはそう言った。オリバーさんも頷いた。

「そうだね……悪かったよ、トード」

「いいえ、そんな……」

 彼に謝られて僕は逆に恐縮した。次の言葉が思いつかなくてうつむいてしまう。

「世話になったね、ダック。僕らそろそろお暇するよ」

 オリバーさんはダックさんにそう告げ、立っている僕を促して人ごみとは逆の方向へと向かった。

「ああ、気を付けて」

 ダックさんも手を振った。

 それから僕らはそこを離れた。