日々、只、善き哉。 第一話 ~おはようございます、オリバーさん~ - 3/4

 仕事を終えて帰ってきたときには、もう日はすっかり暮れていた。最終点検を終えてから人間に戻って、ブローズさんたちにさよならを言い、駅からさほど遠くない家路に着く。

 ふと見ると、家には明かりが点いている。

 誰がいるのかは分かりきっている。僕は胸の中で少し高鳴るものを覚えながら、ドアを開けた。

「ただいま」

「おかえりなさい!」

 トードが満面の笑顔で駆け出してくる。さっそく上着を受け取ろうとする彼を制して僕は尋ねた。

「今日は早かったんだね?」

「ええ、ダグラスさんについて行ったんですけど、今日は港の仕事が少なかったもので」

 トードはやっぱり笑顔のままで答えた。しっかりお気に入りのエプロンをつけている。……結局夕食も任せちゃったのか……。

「あのふたりはやっぱり機関庫に?」

 僕は上着をハンガーに掛けながら、友人とその双子の兄のことを思い浮かべて訊いた。

「はい、自分たちはやっぱりこっちのほうが慣れているからって」

「相変わらずだなあ……人間(こっち)の暮らしも結構楽しいのに」

 僕は笑って答えた。等しく人間化する能力を手に入れたとはいえ、その使用頻度は機関車によって違う。中には頑として人間でいることを拒否し、あるべき姿であり続けるものもいるのだ。ドナルドやダグラスは彼らの仲間だと言っていい(たまにカレン卿のお城にふたりで出かける姿を見たこともあるが)。

 僕は……何となくこの姿が気に入っている。だってどこにでも行けるし、トードと正面を向いて話せるから。好きな時に手で触れることもできる。それは今までの連結器や、トードの木のボディとはまったく違う感触だけれど。

「もう夕食にします?」

「うん。僕もやるよ」

 僕らは一緒に準備に取り掛かった。

「今日、フィッシャーさんに会ったんだよ」

「ええっ、本当ですか⁉すごいすごい!いいなぁ、僕も会いたかったですよー……」

 準備の間も、そうひっきりなしにお互いのことを交換しながら手を動かす。ふたりでいると、話の種はいくら話しても尽きない。

 夕食はキドニーパイだった。

 もちろん、まったく臭みなんてない。中身から付け合わせに至るまで丁寧に仕事がしてあり、食べ物そのものに触れはじめたばかりの僕でさえ、これは別格だと感心する。

 トードはすごく料理が上手だ。多分普通の人間にも負けないと思う。といっても他の人間化した機関車あるいは乗り物(ややこしいなあ……)の料理を食べたことないから分からないけれどね。

「またきっと会えるよ。イザベルも会いたがってるって言うし。君によろしくってさ」

「彼女も一体どうしてるんですかねえ……」

 他愛無い会話を交わしながら、夜は更けていった。

 今日はデザートにライスプディングまでついていた。本当に、よくここまで時間を作ったものだと密かに舌を巻く。

 試作らしいが、もうすでに上手く出来ている。……たぶん、僕だったらこう上手くはいかないだろう。要領悪いし……。

「どうしても自分で作ってみたくって」

 トードはそう言った。

 変身できるようになってから初めて気づいたことだが、トードは甘いものが好きだ。一緒につつく様子が、僕以上にとても幸せそう。

 彼を見つめながら、僕はふと思った。

 もし、このまま僕らがもっと人間くさくなって、今まで知り得なかった感情を知りはじめたら、どうなるのだろう。

 トードも恋とかするんだろうか?

 そうしたら……僕の元を離れていってしまうのかな。別に僕は彼がいないと何もできないほど、おんぶにだっこしてるわけじゃないけど(荷物を牽いてる時のブレーキ掛けは別だが)、それはなんだか、とても寂しい気がした。

「トード」

 僕は唐突に彼に話しかけた。

「何ですか?オリバーさん」

 トードはすぐさま手を止めて言った。僕はさらに尋ねた。

「君、好きなひととか、いる?」

 するとトードはにわかに慌てて、林檎みたいに顔を赤くしてからこう言った。

「え⁉やだなぁ……そんなひと、いませんよ。僕はみんなが好きです。だいたい僕、まだ恋とかそういう感情がよく分からないし」

「そうか……そうだよね」

 僕は安心したような、切ないようなそんな気持ちになった。

「オリバーさんといる時が一番楽しいです!」

 トードはいつも通りの無邪気な笑顔で返してきた。

「そう思ってくれて光栄だよ」

 僕は微笑んでそう返した。

 僕も、トードといるときが一番楽しい。かなうならずっと、この生活が続けばいいなあと思う。

 だけどなんだかそんなことを言うのは照れ臭くて、僕はただ黙って彼の顔を見つめていた。

「どうかしましたか?」

 その視線に気づいたのか、トードはプディングを食べる手を止めて僕を見た。

「いや……」

 その視線に見据えられながら、僕は一瞬言いよどみ、そして答えた。

「君の料理は美味しいなあと思って」

 トードは、そうですか、嬉しいです、と言ってまた顔を赤くしていた。いつだったか、初めて前向きで走った時もそんなトーンで、おそらく同じ表情をしていたんだろうけれど、それを正面から眺めるのは初めてだ。

 嬉しそうなその笑顔に、知らずつられて笑った。

 こういうのを多分、幸せって言うんだろうな、と、僕は思った。

おしまい。