仕事を終えて帰ってきたときには、もう日はすっかり暮れていた。最終点検を終えてから人間に戻って、ブローズさんたちにさよならを言い、駅からさほど遠くない家路に着く。
ふと見ると、家には明かりが点いている。
誰がいるのかは分かりきっている。僕は胸の中で少し高鳴るものを覚えながら、ドアを開けた。
「ただいま」
「おかえりなさい!」
トードが満面の笑顔で駆け出してくる。さっそく上着を受け取ろうとする彼を制して僕は尋ねた。
「今日は早かったんだね?」
「ええ、ダグラスさんについて行ったんですけど、今日は港の仕事が少なかったもので」
トードはやっぱり笑顔のままで答えた。しっかりお気に入りのエプロンをつけている。……結局夕食も任せちゃったのか……。
「あのふたりはやっぱり機関庫に?」
僕は上着をハンガーに掛けながら、友人とその双子の兄のことを思い浮かべて訊いた。
「はい、自分たちはやっぱりこっちのほうが慣れているからって」
「相変わらずだなあ……人間の暮らしも結構楽しいのに」
僕は笑って答えた。等しく人間化する能力を手に入れたとはいえ、その使用頻度は機関車によって違う。中には頑として人間でいることを拒否し、あるべき姿であり続けるものもいるのだ。ドナルドやダグラスは彼らの仲間だと言っていい(たまにカレン卿のお城にふたりで出かける姿を見たこともあるが)。
僕は……何となくこの姿が気に入っている。だってどこにでも行けるし、トードと正面を向いて話せるから。好きな時に手で触れることもできる。それは今までの連結器や、トードの木のボディとはまったく違う感触だけれど。
「もう夕食にします?」
「うん。僕もやるよ」
僕らは一緒に準備に取り掛かった。
「今日、フィッシャーさんに会ったんだよ」
「ええっ、本当ですか⁉すごいすごい!いいなぁ、僕も会いたかったですよー……」
準備の間も、そうひっきりなしにお互いのことを交換しながら手を動かす。ふたりでいると、話の種はいくら話しても尽きない。
夕食はキドニーパイだった。
もちろん、まったく臭みなんてない。中身から付け合わせに至るまで丁寧に仕事がしてあり、食べ物そのものに触れはじめたばかりの僕でさえ、これは別格だと感心する。
トードはすごく料理が上手だ。多分普通の人間にも負けないと思う。といっても他の人間化した機関車あるいは乗り物(ややこしいなあ……)の料理を食べたことないから分からないけれどね。
「またきっと会えるよ。イザベルも会いたがってるって言うし。君によろしくってさ」
「彼女も一体どうしてるんですかねえ……」
他愛無い会話を交わしながら、夜は更けていった。
今日はデザートにライスプディングまでついていた。本当に、よくここまで時間を作ったものだと密かに舌を巻く。
試作らしいが、もうすでに上手く出来ている。……たぶん、僕だったらこう上手くはいかないだろう。要領悪いし……。
「どうしても自分で作ってみたくって」
トードはそう言った。
変身できるようになってから初めて気づいたことだが、トードは甘いものが好きだ。一緒につつく様子が、僕以上にとても幸せそう。
彼を見つめながら、僕はふと思った。
もし、このまま僕らがもっと人間くさくなって、今まで知り得なかった感情を知りはじめたら、どうなるのだろう。
トードも恋とかするんだろうか?
そうしたら……僕の元を離れていってしまうのかな。別に僕は彼がいないと何もできないほど、おんぶにだっこしてるわけじゃないけど(荷物を牽いてる時のブレーキ掛けは別だが)、それはなんだか、とても寂しい気がした。
「トード」
僕は唐突に彼に話しかけた。
「何ですか?オリバーさん」
トードはすぐさま手を止めて言った。僕はさらに尋ねた。
「君、好きなひととか、いる?」
するとトードはにわかに慌てて、林檎みたいに顔を赤くしてからこう言った。
「え⁉やだなぁ……そんなひと、いませんよ。僕はみんなが好きです。だいたい僕、まだ恋とかそういう感情がよく分からないし」
「そうか……そうだよね」
僕は安心したような、切ないようなそんな気持ちになった。
「オリバーさんといる時が一番楽しいです!」
トードはいつも通りの無邪気な笑顔で返してきた。
「そう思ってくれて光栄だよ」
僕は微笑んでそう返した。
僕も、トードといるときが一番楽しい。かなうならずっと、この生活が続けばいいなあと思う。
だけどなんだかそんなことを言うのは照れ臭くて、僕はただ黙って彼の顔を見つめていた。
「どうかしましたか?」
その視線に気づいたのか、トードはプディングを食べる手を止めて僕を見た。
「いや……」
その視線に見据えられながら、僕は一瞬言いよどみ、そして答えた。
「君の料理は美味しいなあと思って」
トードは、そうですか、嬉しいです、と言ってまた顔を赤くしていた。いつだったか、初めて前向きで走った時もそんなトーンで、おそらく同じ表情をしていたんだろうけれど、それを正面から眺めるのは初めてだ。
嬉しそうなその笑顔に、知らずつられて笑った。
こういうのを多分、幸せって言うんだろうな、と、僕は思った。
おしまい。