アールズバーグ・ウェスト駅操車場では、もうすでに何人かの人影が待っていた。その中に目的の誰かを見つけて、僕は駆け足で向かい、挨拶した。
「おはようございます!」
「お、今日はまた早かったな」
僕の機関士のアンブローズ・フォードハム氏――通称ブローズさんが気付いて声を掛けた。
「はい、トードにつられて、早起きしちゃって」
息を弾ませる僕を見て、僕のクルーたちは少々苦笑いした。
「お前たちは本当に仲がいいな」
助手のシルバーさん――シルヴェスター・マレー氏が答える。僕はにっこり笑うことで返事の代わりにした。
「今日は一発目から客車の仕事だぞ。……またダルシーが文句言わないといいがな」
「本当にそうですね」
僕はブローズさんとそんな会話を交わしながら転車台の方へ歩いた。騒がしい音、蒸気と油の匂い、独特の雰囲気が胸を騒がせる。
「そろそろ行くか」
「分かりました」
そう告げられたので僕は、自分の本来の業務に取り掛かることにした。
転車台近くの線路の上に立ち、目を閉じて、ほんの少し〝意識のあり方〟を変える。
すると一瞬周りの音が消え、足元からふっと浮くような感覚がして、次に足が地に着いた時にはもう、それは六つの車輪に変わっているのだった。
僕は再び目を開けた。目の前には朝焼けの線路がどこまでも続いている。身体は温かいし、蒸気も十分ある。昨日の夜入念に準備してもらってから人間に戻ったおかげだ。気分は上々だ。
ブローズさんとシルバーさんが乗り込み、僕に合図して言った。
「んじゃ、今日も一日よろしく頼むぜ」
「はい!」
僕らは駅に向けて走り出した。
こうして僕の一日は始まるのだった。
僕が主に担当するのはこのアールズバーグ線、通称〝小西部鉄道〟での旅客運送、貨物運搬、そして貨車や客車の入れ替えだ。僕ともうひとりの大西部鉄道出身車と、揃いの客車がいることからこう呼ばれている。故郷を彷彿とさせるこの呼び名が、僕らは好きだったし誇りでもあった。それゆえ僕はここからあまり外へ出ることはなかったが、手が足りない時は本線や他の所に応援に行くこともある。まあ要するに何でもござれだ。小型タンク機関車はなんだかんだ言って、いなくては困る存在だ(と、自惚れている)。
トードは重い荷物を牽く時は、僕の後ろについてサポートしてくれる。僕以外にも、貨物運搬が主なドナルドやダグラスにつくこともある。重要な仕事の一つに〝ちんまり鉄道〟からの砂利の輸送があったから、そういうとき彼のブレーキの補助はとても役に立った。それ以外でも僕は何度となく、彼にピンチを救ってもらっている。
僕らの本質はあくまで機関車で、それ以上でもそれ以外でもなかったから、こうして働くことに何の違和感もない。ブローズさんたちは僕を大切にしてくれるし、むしろこの島で役に立てる仕事があることに、心から感謝している。僕は一度それを失ったことがあるから、なおさらだった。
平凡だけど幸せで、時々ちょっと厄介ないざこざが起こる。そんな日常を、僕は存分に謳歌していた。
***
今日はちょっと嬉しいことがあった。
いつもの通り、折り返し待ちでティッドマスに停まっていると、一人の紳士が僕を見て駆け寄ってきたのだ。
なんだか見覚えがある気がする。もうずいぶん昔のことだが……。紳士の方も同じ感慨を抱いたらしく、驚いた顔で、僕に声を掛けてきた。
「オリバー!まさか……本当に君かい⁉」
その声を聞いて、探していた面影がぴたりと一致し、僕は喜びと驚愕の声を上げた。
「フィッシャーさん!」
ベイジル・フィッシャー氏――その昔、僕がスクラップにされかけて本土から逃げ出した時、途中で逃亡を手助けしてくれたスタッフの一人だ。僕は彼には特に大きな恩があった。
「そうだよ。いや、本当に久しぶりだね!今更だけど、無事でよかった」
フィッシャーさんも再会を喜び、僕が生きていたことを言祝いでくれた。僕はにっこり笑って応えた。それから彼に尋ねた。
「イザベルは元気ですか?」
イザベルというのは、かつて僕がペアとなって牽いていたオートコーチだ。逃亡の際、一緒に連れてきたのだが、途中で燃料との兼ね合いから置いてこざるを得なくなった。その彼女を匿ってくれたのも、フィッシャー氏なのだ。
もう、かれこれ二十年近くになるだろうか、機関車と客車の宿命で、彼以上に彼女には長いこと会っていない。彼女の世話は結局フィッシャーさんに任せっきりなのだ。だから僕は、彼には特別感謝を抱いている。
フィッシャーさんは一つ咳払いをして続けた。
「ああ、もちろん……彼女も相当古くなってきたが、なんとかして残せないかと日々努力しているところだ。彼女自身はディーゼル車に牽かれることを嫌がっているけれどね」
「やっぱり蒸気機関車じゃないと駄目でしょう」
僕はいくぶん冗談めかして言った。
「そうだな。君と働いていた頃が懐かしいと言っていたよ」
フィッシャーさんもうなずいた。それから首をひねって、少し申し訳なさそうに言った。
「会わせに来られたらいいんだけどもね……」
彼が僕らのことを考えてくれていて、僕はとても嬉しかった。僕らの気持ちは汲んでいるが、さてどうやって会わせるかと心配しているのだろう。誰かに引っ張ってもらわない限り、イザベルは自分では動けない。指示を受けて動かしてもらわなければならない僕も同様。普通はそうだ。……でも、今ではそう難しいことではないのだ。
「大丈夫です。そのうち僕が行きますから」
僕は事もなげに彼に言った。するとフィッシャーさんはびっくりしたように目を見開いて、怪訝そうに僕に告げた。
「君が?本当に?いやしかし……どうやって?まずハット卿のお許しがなけりゃ駄目だろう」
心底心配そうな彼に、僕はくすくす笑った。
「いいから。ちょっとした方法を手に入れたんですよ。その話は……また今度」
わざといたずらっぽく言って、彼を煙に巻く。この場で秘密を言ってしまえばそれまでだが、やっぱりそれは実際会ったときのサプライズにしたい。
ふと、僕は彼の傍らにいる若い女性と、それから付き添っている男の人に気づいた。
物問いたげな目をしていたのだろう、フィッシャーさんは微笑んで彼らを僕に紹介した。
「ああ、これは僕の娘だよ。マーガレットだ。隣は婚約者のフェービアン。二人はもうすぐ結婚するんだ」
「そうなんですか。少し早いけど、おめでとうございます」
僕は祝福の意味を込めて彼らに微笑んで言った。思わぬものから祝辞を投げかけられた二人は、照れくさそうにはにかんで、答えた。
「あら、ありがとう。嬉しいわ」
「機関車にまで祝ってもらえるなんて最高だよ」
ふたりは口々に僕に話しかけ、うなずきあった。さすが、フィッシャーさんに近しい人だけあって、この姿でも僕らの言葉が分かるみたいだ。
「僕、あなたのお父さんにはすごくお世話になりましたからね」
「そうなの?知らなかったわ」
マーガレットさんは初めて聞いたように驚いてお父さんを見た。フィッシャーさんはちょっと赤くなって、頬を掻いてから誇らしげに胸を張って言った。
「……ああ。そうだぞ。私はその昔小さな支線で信号手をしていてな……その時、ある夜逃げてきたオリバーたちに出会って、みんなで助けてやったんだ」
「へえすごい!じゃあお父さんは彼を助けたの?」
マーガレットさんが目を輝かせて彼に尋ねた。フェービアンさんも興味を持ったようで、身を乗り出した。
「面白そうですね、その話。もっと聞かせてくださいよ。そもそもなぜ、彼は逃げる羽目に?」
「ああ、それはだね……当時は国鉄が、〝無煙化運動〟というものを進めて……」
フィッシャーさんは楽しそうに、懐かしい昔語りを語り始めた。
客車のダルシーに乗ってからも、思い出話は尽きないみたいだった。
自分のことを言われてるので少し照れくさい気もしたが、彼と同様、とても懐かしい気分だった。
アールズバーグ・ウェストの駅に着くと、二人は手を繋いで降りて行った。フィッシャーさんは僕にお別れの挨拶と、またいつかよろしく頼むという言葉を掛けて出て行った。
歩いて行く二人を横目で見ながら、僕は思う。
(すごく仲良さそうだなあ)
他の人と比べても、二人は特別に仲が良さそうだった。
何となく知っている。ああいうのを確か、恋って言うんだ。
僕にはよく分からない。いつも感じてる好きと嫌いと、どう違うんだろう――たとえば、トードは好きだけどディーゼルと貨車は嫌いとか。
僕が考え事をしているとホームで笛が鳴り、車掌のヒースさんの声がした。
「出発でーす!お早くお乗りくださーい」
「おう、そろそろ行くか、坊主?」
ブローズさんが僕を軽く叩いて合図した。それで僕も気持ちを切り替えて仕事に戻ることにした。