日々、只、善き哉。 第0話
Saga of the Western Engines 後編 ~脱出、その1~ - 8/15

第五幕 廃線にて――――推進部隊との接触と、ある出会いと別れと……

 故郷でそんなことが起こっているなど、当然、僕らは微塵も知る由もなかった。

 ただ今は僕らの目的を果たすことだけで精一杯であった。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「大丈夫か?なんか力が落ちてきてるぞ」

 息を切らす僕を見かねて、ブローズさんが心配そうに尋ねる。僕はできるだけ平静を装い、何でもないように振る舞った。

「ふぅ……大丈夫……です」

「ため息つきながら言われてもなぁ」

 しかし当然そんなものでごまかせるわけもない。疲れている場合じゃないのだが、正直、かなり限界に近づいていた。

「石炭も水も無くなってきている」

 シルバーさんが言った。しばらく補給が上手くいかなかったので、エネルギー自体、底を尽きかけている。

「ちっ、ディーゼルを撒くために迂回したのが災いしたか。そうでなくてもしばらく走りづめだ、疲れてて当然だろう」

 ブローズさんは毒づき、そして後ろを振り返って、トードに乗っているセージさんに叫んだ。

「セージ!どうする?このまま予定のポイントまで行くか?それとも緊急で別の駅に援助を求めるか?」

「この近くに駅があったか?」

 セージさんから返事が返ってきた。シルバーさんが答える。

「コースに無かったので連絡は入れてませんが……小さな駅が一つ」

「……賭けてみよう!」

 セージさんは言った。

 行く手に、小さな信号所が見えてきた。

 通りかかったその時、窓から人影が飛び出してきて、僕らに叫ぶ。

「止まってください!」

 僕らは足を止めた。

「何ですか?あなた達?蒸気機関車の通過の連絡なんて受けてませんけど」

 現れたのは若い男の人だった。ブローズさんやシルバーさんとそんなに変わらないかもしれない。知らせも無く現れた僕らに戸惑い、迷惑そうに睨んでいる。

「そうだろうよ。でも緊急事態なんだ。追われてるんだ。とにかく先の駅の構内に入れてくれ」

 ブローズさんは答えた。その答えに、彼はさらに険しい顔になる。

「何ですか……追われてるって。犯罪でも犯してきたんですか?とりあえず、そこの古い側線に入っててくれません?通過列車の邪魔になります」

 そう言って僕らを追い払った。

「ちょっ、話を聞いてくれよ!」

「早く行ってください」

 ブローズさんは食い下がったが、僕らはそれに従うより仕方なかった。側線に潜りこみ、出来るだけ見えないように隠れる。

「くそっ、ここで終わりか……!」

 冷たい態度を取られて、僕らは焦っていた。シルバーさんが小さな声で罵る。あの人は味方じゃないのかもしれない……だとしたら、僕ら、捕まって連れて行かれるかも。

 その時、セージさんが叫んだ。

「ブローズ、シルバー、誰か来る!」

「くっ」

 みんながその方を睨み、身構えた。

 パキッ、パキッと線路に積もった枝を踏む音がした。いよいよおしまいか……と思わず目を閉じかけた時、現れた影に、妙に見覚えがあることに気がついた。

「あ……」

それは、まさにさっき僕らが見た、信号所で話しかけてきた信号手さんだった。ランプを手に、同じように緊張した面持ちで僕らを見つめる。

「君は、さっきの……」

 セージさんが尋ねると、その人はすぐさま脱帽し、挨拶した。

「フィッシャーです。ベイジル・フィッシャー。そこの信号手です。〝謎の列車〟の話を聞きつけて、哨戒に当たっていたんですが…………どうやら、その正体に巡り会えたようですね」

 彼はそう言って、僕らをしげしげと眺めた。ブローズさんが拳を打ちつけながら、彼を睨みつけて言う。

「ああ、その通りだ。俺たちは元大西部鉄道から逃げてきた。で、あんたは俺たちに味方してくれるのかい?それともさっきの口ぶりからすると、殺し屋ディーゼルどもに告げ口するのかい?……返事の次第によっては手段を選ばんぜ」

「まさか。そんな立派な機関車とそのクルーと争ったりするわけないでしょう」

 フィッシャーさんも彼を睨み返し、それからここで待っててください、と信号所の方へ戻って行ってしまった。

 僕らは彼の態度について囁きあった。

「今『立派な機関車』って言った?あの人僕らに味方してくれるの?」

「さあ……でも、怒ってるみたいよ」

 素っ気ない語り口ではあったが、僕はひょっとしたら、彼が見た目ほど冷たい人ではないのかもしれないと思った(褒められて悪い気はしない)。けどイザベルは心配そうだった。

 トードはしばらく考えてから、遠慮がちに口を開いた。

「僕は……正直、分かりません。でもディーゼル側の人ならば、そんなことわざわざ言わないような気もします」

「どうかな。そうと見せかけて、次来るときは大勢監督官やディーゼルの機関士を連れてるかもしれないぜ」

 ブローズさんは相変わらず疑わしげだ。考えれば考えるほど分からなくなってしまった。

 どのみち彼が帰ってくるまで待つしかない。

 どうか、この目が信じたとおりでありますように、と僕は願った。

 通過列車を確認したのち、フィッシャーさんは僕らの元へ再びやってきた。

 今度も一人だった。そしてまず僕らに謝罪した。

「先ほどは失礼な態度を取って、すみませんでした。でも、どこかで鉄道局の人間が傍聴しているとも限りませんので……」

 彼はそう言って頭を下げ、そしてこう言った。

「話はだいぶ前から聞いていました。ここは通らないかと思っていたんですが、付近で夜中に走る蒸気機関車を見かけたと連絡があったもので。……ご安心ください、僕らは全員あなた方の味方です。今、この先の駅のスタッフも呼びました。もう少しすればもっと人手が来ます」

 それを聞いて僕はほっとした。やっぱり、彼は僕らの味方だったんだ。わざと冷たい態度をしていたのも全部納得がいった。

 セージさんも安堵を滲ませて言う。

「そうか、それなら話が早い。こんなところで、まさに天の助けだ」

 そして彼はフィッシャーさんに言った。

「ではさっそく頼みがある。ソドー島まで逃げるための石炭と水が欲しい。どこかに残っていないか?」

「え、な、なんですって?ソドー島!?」

 フィッシャーさんは心から驚いた顔をした。あまりの衝撃だったのかしばらくそのままだったが、やがて元に戻り、今度は真剣な様子で言った。

「……力になりたいのはやまやまなんですが、あいにく石炭のストックはほとんど残っていないんです。それに……」

 彼は一瞬だけ口ごもり、そして意を決したように僕らに言った。

「悪いお知らせなんですが、この先には行かない方がいいと思います。鉄道局の人間と、ディーゼルたちが大勢張ってるんです」

「何!」

「そんなっ……!」

 その知らせに、僕らは色めき立った。

 フィッシャーさんは語った。

「あなた方の情報は、もう思っているよりずっと遠くまで、深刻に知れ渡っている。確実に手の内にあった蒸気機関車に、隙を突かれて逃げられたとなれば、‟無煙化推進部隊”の連中にとっては不名誉極まりないことです。ですから何が何でも捕らえてしまう気だ。うちみたいな古い寂れた支線には、特に奴らが集まってきているんです。隠れるには絶好の場所だから――――」

「なんだよ!俺らわざわざ、敵陣の中に飛び込んじまったわけ⁉」

「飛んで火に入る夏の虫だな……」

 悪い知らせを聞いて、ブローズさんとシルバーさんは頭を抱えた。

「だから、『どこで傍聴されているか分からない』と……」

 セージさんが尋ねると、フィッシャーさんはうなずいた。それから急いで僕らに言った。

「とりあえず、そこの入口をガラクタで隠しましょう。本線から見えないように!」

 フィッシャーさんの駅から手伝いの人たちも大勢来て、僕のクルーたちも総出で支線の入口にガラクタを積んだ。

 僕らは土手とガラクタの壁に囲われた格好になった。これならディーゼル達にも見えないだろう。

「これでおそらくは安心でしょう。彼らにはここはとうに閉鎖されていると言っておきました。もしも探りに来るようなら、僕たち信号手が適当にごまかします」

 フィッシャーさんは汗を拭い、ため息をついて言った。それから僕らに向き直り、ある提案をした。

「どうです、警備の目が緩むまで、ここで何日か泊まっていきませんか?ちょうど彼は修理を必要としているようですし、あなた方も疲れきっている」

 僕らは顔を見合わせた。願ってもいない申し出だ。確かに、いくらかでも休めるならこの先の旅はぐっと楽になるだろう。僕は走りづめで部品がすり減りそうで怖かったし、イザベルやトードだって、クルーたちだってぼろぼろだった。

 ブローズさんとシルバーさんはひそひそ声を交わした。

「……おい、ほんとに大丈夫だろうな?うまい話に見せかけて……なんてこたぁないよな?」

 ブローズさんが言った。しかしシルバーさんは難しい顔をする。

「でもこのまま行くのは正直厳しいですよ。何日か休んで、じっくり整備が出来るならありがたい」

「だけどすぐ近くにディーゼルがいるんだろ?引き留めといて、このまま売り渡すなんてことも……」

「ブローズさん、シルバーさん、信じましょうよ。きっと彼ら、悪い人じゃないですよ。そうじゃなければ、わざわざ苦労してまでガラクタで僕らを隠してくれたりしないでしょう?追われてるからって、何でもかんでも、疑心暗鬼になるの、やめましょうよ」

 僕はそこで割って入った。まったく僕の勘と言ってしまえばそれまでだが――――フィッシャーさんを初め、彼らから伝わってくる雰囲気は悪いものじゃなかった。きっと彼らも同じ、ブローズさんたちやトワイニングさんみたいに蒸気機関車を愛する者だから、せっかくの親切を疑ってしまうのは失礼な気がしたのだ。ディーゼルに追われているうちに、僕らまでぎすぎすした、あんな顔になるのは嫌だった。

「オリバー……」

 僕の発言にクルー二人は戸惑ったようだが、やがて顔を見合わせて静かにうなずいた。

「……そうだな」

「俺らまでディーゼルみたいに、野蛮になっちゃだめだよな。うん、そうだ。そうしよう。お前の言う通りだ」

 セージさんが改めて、フィッシャーさんに手を差し出した。

「……そういうことなら、お願いしましょう。あなた方は信用に足る相手だ」

「そう言っていただき、光栄です」

 フィッシャーさんも手を差し出し、二人は固い握手を交わした。

 こうして、僕らはしばらくの間、この駅でお世話になることになった。