日々、只、善き哉。 第0話
Saga of the Western Engines 後編 ~脱出、その1~ - 6/15

第四幕 さまよう幽霊列車

 それから何年、僕らはさまよい続けただろうか。

 走り出してみると、ソドー島までの旅路は思った以上に険しく長いことを思い知らされた。

 夜しか動けないし、そんなに長い距離を走るわけじゃないけれど、体の小さいオリバーさんは頻繁に息切れを起こしていた。隠れて休む昼の間に、ブローズさんたちがかき集めてきた石炭と水を補給して、ようやくその日の夜の分を走るという厳しい旅を迫られていた。

「後150マイルか……まだ半分しか行ってないぜ」

 地図を見ながらブローズさんがため息をつく。セージさんも難しい顔で言った。

「こんなペースじゃそのうち管制に嗅ぎつけられてしまう。オリバー、きついだろうが、何とかしてもう少しペースを上げられないか?」

「やってみます」

 オリバーさんは答えた。そのとき、僕は胸の奥をちくりと刺されるような気がした。

 ……僕らがいなければ、きっともっと楽に逃げられるのに。

 僕の変化を察して、オリバーさんが言った。

「……そんな顔しないで。大丈夫だから」

 僕はただ、黙ってうなずいた。

 明け方近く空が白み始めた頃。そろそろ人目を避けないと、とねぐらを探しているうち、僕らは機関車のスクラップがたくさんある場所に辿り着いた。崩れかけた建物やプラットホームから察するに、どうやらここは駅だったらしい。

 異様な雰囲気に、僕ら三台は足を止め、押し黙った。同じ眷属である僕らにとって、仲間の‟死体”を見るのはあまり夢見のいいものではない。

「廃駅か?」

 ブローズさんが辺りを見回して言った。シルバーさんも答える。

「そうでしょうね……結構大規模なものだったみたいですが」

 錆びついたスクラップはかなりの数あった。もしかしたら、昔も部品取りに使われていたのかもしれない。駄目になって完全にその役目を終えたからか、喋りかけてくる気配はなかった。

 イザベルは身震いしていた。

「なんだかぞっとするわ。早く通り抜けましょう」

「そうだね……僕もいい気持ちはしないよ……」

 オリバーさんもそう言った時、後ろの方で何か唸るような音が聞こえた。

「しっ!」

 セージさんがすぐさま僕らを制する。

「何?」

 イザベルが声を上げた時、セージさんが焦った囁き声で言った。

「ディーゼルだ!いかん、音を立てるな、見つかるぞ」

「!?」

「……きゃ……」

 一同その知らせに震え上がる。セージさんは言った。

「ブローズ、そこの側線に入れ!ちょうどこいつらで陰になって見えないはずだ」

「了解」

 僕らは側線の中で、息を殺した。

 隠れ潜むスクラップの陰の向こうで、ディーゼルたちの囁きが聞こえてきた。線路を踏む音に交じって聞き取りにくいが、その恐るべき内容はしっかりと僕らの耳に刺し込まれてきた。

「聞いたか?‟謎の列車”の話」

 一方のディーゼルがひどいしわがれ声で言った。もう一方も低い声で返す。

「ああ聞いた聞いた。夜、どこにも通過の連絡がいってない列車が通ってるっていう噂だろう?しかも蒸機だって言うじゃないか。この鉄道の蒸気機関車はほとんど全部始末したと思ってたのに」

 声には出さなかったが全員が気づいていた。

 ……まさか、それは……僕らの話か?

 しわがれ声のディーゼルは続ける。

「ああそうさ、蒸気機関車どもは、俺たちが一台残らずスクラップ工場に送ってやったはずなんだ。なのにこんな不愉快な噂が立つと来てやがる。……ところで、俺が工場で聞いた話なんだが」

「なんだい」

 もう一方が答えた。

「だいぶ前に、GWR1436を始末するように言われたんだが、どうも工場でバラした形跡がないらしい。ところが記録簿にはちゃんと残ってるって言うんだ。間違いなく解体しましたよ、あとは鉄鋼会社に売っちまいましたって。……おかしいと思わんか?」

 話しかけられたディーゼルはしばらく黙っていたが、やがて考えありげにこう言った。

「なるほど……。そいつがどうにかして工場を丸め込み、脱け出して、こっそり逃げ隠れてるってわけかい?」

「そういうこと」

 僕らは戦慄した。

 僕らの脱出劇が、ついに当局に知られてしまったのだ。どこの誰が逃げ出したのかも、またどうやって逃げおおせたのかも、全部。

 ディーゼルたちの会話がふと止んだ。唸り声も線路を踏む音も。妙だな、と思った瞬間、続いて飛び込んできた言葉が僕らを凍りつかせた。

「おい、どうも煤臭いような気がするぞ」

 ディーゼルの一台が、側線の気配に気づいたかのようにつぶやいたのだ。もう一台の方も続いてこう告げる。

「そこの引き込み線に蒸気機関車でもいるんじゃねえのか」

 見えているかのように、ずばり言い当てられて僕らは慄然とする。彼らからは見えなくても、彼らの機関士たちが覗きにやってきたら……僕らの運命はそこで終わりだ。

 オリバーさんやイザベルも、そしてセージさんたちも揃ってどう出るかと次の展開をうかがう。幸い、彼らの機関士の一人は半ばくだらない、といった調子でこうつぶやいた。

「この支線はずっと前に閉鎖されたところだ。気のせいだろう。万一この中で生き残っていたとしても錆びついてて使えんだろうさ」

「それもそうだな」

 ディーゼルの一台が言った。

 機関士は笑いながら、彼らにこう告げて走るよう促した。

「どうせ部品取りの途中で放置された機関車だよ。駅ごとなくなった今となってはもう必要ないさ」

 彼らはそのまま行ってしまった。

 ゴロゴロという音が遠くへと消え去ってから、僕らはようやく安心して息をついた。

「……あぁ……」

 緊張が解けきったかのように、オリバーさんがひときわ大きく息を吐く声が聞こえた。

 ブローズさんやシルバーさんも糸が切れたようにその場にへたり込む。

「本当に危機一髪だったな……丁寧に確認してくれなくて助かったぜ」

 荒い呼吸を繰り返して、ブローズさんが言った。

「でも……もう私達のこと、分かってしまったのね」

 イザベルが不安げに言う。それを聞いてセージさんが厳かに告げた。

「仕方がない。覚悟していたことだ」

 そうだ。こうなることはもう全員、最初から分かりきっていたはずなのだ。だけど改めて突き付けられてみるとやっぱり怖かった。

 ……あの凶暴な猟犬のような彼らを、この先もかわしながら進まないといけないのだろうか?

 闘う手段も力も持ちえない僕らが、本当にそんなことをやってのけられるのか。引きずられるだけの身分でありながら、僕はそれが本当に怖くて震えてきた。

 シルバーさんが辺りを見回して囁いた。

「いません、奴らはもう行っちまったようです。大丈夫ですよ」

 それを聞いて、とりあえずはみんな安心する。ブローズさんが気合いを入れ直すように言った。

「よし、じゃあ、行くか。間違っても追い越したりしねえようにしないとな」

「そうですね。‟謎の列車”の正体があんまり早く分かったんじゃ、向こうも面白くないでしょうし」

 オリバーさんも笑いながら冗談っぽく答えた。そして待避線を出て行きざま、ふと、言葉無いスクラップの群れたちを見てつぶやいた。

「……ごめんね。ありがとう……でも助かったよ」

 その声に、僕らもしんみりする。無機物に宿る概念的な命もなくなった彼らは、もう何も言わない。どれほど長い間、ここで時を待っていたのか――――もしかしたら、僕らが生き延びていた分、彼らに放逐の憂き目が回ってきたのかもしれないけれど。一歩間違えれば、いや、今だって、僕らもこうなりかねない運命にさらされているけれど。それでも、そんな彼らに命を守ってもらったことは、何だか皮肉だけれど、尊いことのように思えるのだった。

 セージさんが言った。

「こうやって死んでまでも助けてくれたんだ、彼らの分まで、お前達は長生きしなくちゃな」

 誰しもが無言で、その言葉を深く胸に刻んで走り出した。