日々、只、善き哉。 第0話
Saga of the Western Engines 後編 ~脱出、その1~ - 4/15

第三幕 そして、脱出へ

 こうして、僕はひとりぼっちになってしまった。

 パメラの一件の後、僕の仕事はますます減った。

 広くなった機関庫に、ぽつんと残され、ただディーゼルたちが走っているのを眺めるだけになった。

 だけどもうそれを悔しいとも思わない。僕はただ、寂しかった。そしてパメラに申し訳なくて、もうどうしようもない胸の痛みを抱えて過ごしていた。

 オーガスタスさんに続いて、パメラさんもいなくなった。

 その日の宵に何が起こったか、僕は後になってセージさんから聞かされた。本当に……こんなことがあっていいのかと思えるぐらい、悲惨な出来事だった。つくづくあの時側に自分がいたら、もっと早く知らせられたのに、と思ったけど、仮に彼が追いついたとして、本当に彼らがパメラさんを救出できたかどうかは、定かではない。

 声を掛けようとしたとき、ごめん、ひとりにさせてと一言だけつぶやかれて、僕は押し黙った。

 それから彼はしばらく姿を見せなかった。噂では、彼よりずっと牽引力の強いディーゼル機関車が増えたので、彼が貨車を牽く必要————すなわち、彼が僕を使う必要はもうなくなったとか。

 構内の貨車や客車の入れ替えだけが、彼の数少ない仕事になっていた。近くに来た時は、よく、ふたりで顔を合わせてなるたけ明るい話をした。

 オリバーさんは僕には笑顔を見せてくれた。だけど、会話の途中で言葉が途切れると、ふっと涙を浮かべることもあった。‟肉親”を失った精神的なショックは、一晩そこらで癒えるものじゃなかったのだろう。

 長い涙の時が過ぎた後、彼はさらに喋らなくなったし、動くこともなくなった。

 状況は急速に悪くなりつつあった。

 仕事がなくなったのもあるだろうが、それよりも彼に覇気がなくなったのが心配だった。スクラップにされるまでも無く、彼自身が……壊れ始めている。

 ある晩、僕はとある人を呼んで、彼のためにあること、、、、をしてくれないかと頼んだ。

 悲しい……ひとりがこんなにも寂しいなんて、思ってもみなかった。

 パメラを失ってから一週間も経っただろうか。僕は一日の大半を、機関庫に閉じこもって過ごすようになった。

 僕の仕事はもう操車場での入れ替えだけだ。昔なら仮にも旅客用なのにこれだけなんて、と不満に思っただろうが、そんなこともどうでもよかった。

 今はこの仕事さえもやる気にならない。イザベルとも長いこと顔を合わせていない。

 連れ去られた直後、助手のエドさんに言われた言葉が今も突き刺さっていた。

「なんで……お前が残ったんだ」

 涙の流れる目で僕を睨みつけて、絞り出すように彼はつぶやいた。

「あの子は若かったのに……優秀だったのに…………パメラが死ぬのは、お前のせいだ!お前が余計なことさえ言わなければ……連れて行かれるのはお前だけで済んだんだ!」

 すぐさまラミーロさんやブローズさんたちが、卑怯な物言いはやめろととりなしてくれたが、僕はまったくその通りだと思った。

 僕のお節介が、逆に彼女の死期を早めてしまった。悔やんでも悔やみきれない。どう償っても間に合わないほどの罪を犯してしまった。隣に誰もいない機関庫で、僕は声を殺して泣いた。

 これからはずっとひとりで生きなければならない。希望も夢もない、つまらない色褪せた一生を、ひとりで……。けどそれはきっと僕に与えられた罰だろう。いつもの通り、軽いはずみで、大事な兄妹を殺してしまった、愚かな僕への罰。

 あるいは、僕も壊されてしまえば、またふたりに会えるかな?死後の世界についてはよく知らないけれど、人ではない僕らも招かれるのなら、きっと、ふたりはそこにいる……。

 ――――そうだよ。本当はやっぱり走りたいんだ。ディーゼルのお膳立てにも飽きたしな。‟天国”や‟死”については僕にはまだよく分からないけど、きっとここより悪い所じゃないだろう……。

 頭の中でもうひとりの自分がつぶやいた。

 その時誰かの足音が聞こえてきた。

 ずっと伏せていた目を上げると、そこには見知った、でも懐かしい顔がいた。

「トワイニングさん!」

「久しぶりだな。オリバー」

 老整備士は帽子をちょっと上げて挨拶した。

 それはかつて僕が散々世話になった、整備士のトワイニング氏だった。ここへ引っ越してからはそれきりになっていたが、彼は皺が少し増えたぐらいで、元気そうだった。

「どうしてここに?」

 はやる気持ちを抑えて、僕は彼に尋ねた。すると彼はどこか寂しげに笑いながら、まばらになった銀髪を掻いて、こう言った。

「私も異動だよ。蒸機の保守整備をやれる人間ももうあまりいないのでな。ところでしばらく会わなかったが、元気かい」

「……あまり」

 僕は正直に答えた。トワイニングさんはそんな僕の様子を見定めるように首をひねり、おもむろにこう言った。

「馬鹿なことを考えとるんじゃないだろうね」

「えっ、そんなことは」

 いきなりそんなことを言われ、僕は慌てて否定する。だけどトワイニングさんは厳しい口調で言った。

「とぼけるんじゃない。そんな嘘が私の目に通用すると思っているのか?これでも五十年真面目に整備士をやってきたんだ、部品一つでやる気があるかどうかすぐに分かる」

 彼は鋭い声で僕の心の内を指摘した後、ふいに悲しげな顔に戻って、こう言った。

「一部始終をブローズ達から聞いたよ。確かに残念だったな……」

 僕はさっきまでの気持ちを思い出して語りだした。

「あの時、素直にパメラの言うことを聞いておけばよかった……彼女の仕事まで引き受けなければ、もっと早く戻ってきて、間違いに気づけたかもしれないのに…………パメラが壊されるのは、僕のせいだ。僕は、なんて取り返しのつかないことを……」

 言っているうちに余計に悲しくなって、僕は言いながらぽろぽろと涙をこぼしてしまった。最後の方はもう声が詰まってそれ以上言えなかった。子供みたいに泣く僕の様子を、トワイニングさんは黙って見つめ、それから静かにこう言った。

「気持ちは分かる。お前にまったく非がなかったわけでもないが、そう自分を責めるな。第一その通りにやっていたならば、お前が今頃は解体工場行きだったはずだ」

 それはそうかもしれない。彼らは僕を連れて行くつもりだったのだから。

「……でも、だからこそ、僕が妹を犠牲にして生き延びたみたいで。オーガスタスがいないんだから、僕が彼女を守らなくちゃいけなかったのに……それも悔しいんです。彼女に申し訳ないんです」

 僕がずっと抑えてきた胸の内を語ると、トワイニングさんは首を振った。

「パメラはきっとお前を恨んではいないよ。お前が彼女を守るために、自分に出来る限りのことを尽くしたことは十分分かっている。むしろ感謝していると思うよ。今度のことは……ただ不運が重なっただけだ。ラミーロとエドがどっちかでも残っていれば、あそこで抵抗する術もあった。そもそも蒸機をなくすなどという決定が無ければ、お前達も私達も、こんな思いをしなくて済んだんだ」

 パメラは恨んではいない、という言葉に、そんなの分かるわけないと思いながらも、少しだけ気持ちが楽になるのを感じていた。彼は真っすぐに僕を見て、優しい、けれど真剣な様子で語りかけた。

「……なあ、お前はそういう神様とか信仰とかには無縁かもしれんがね、この世に意味のない物事なんてないよ。お前が仕事を代わってパメラの代わりに生き延びたことも、お前自身も、そして蒸気機関車自体も、意味がないなんてことがあるはずない。分かるな?」

「え、ええ……」

 トワイニングさんは続けた。

「申し訳なく思うなら、しゃにむに働いて目に物見せてやれ。蒸気機関車もまだまだやれるんだってことを見せつけてやれば、上の気も変わるかもしれん。どうせ死ぬつもりだったんなら、死ぬ気になるのは簡単だろう」

「本当ですね」

 僕はそう答えた。本当に……死ぬ覚悟まで決めたのだから、この先もう何があっても怖くはない。どんなにきつい仕事だってやれる。

 なんとなく、明日も頑張る希望が湧いてきた。

 トワイニングさんはそんな僕の様子を見て、満足げに笑った。そのまま出て行こうとしたが途中でふと足を止めた。

「ああ、あと、それから」

 振り返った彼は、僕を見てこう言った。

「お前にはまだお前を頼り、守ってくれる奴らがいることを忘れるな」

「……はい」

 言われて返事をしたものの、その時ははっきりと言葉の意味を理解できなかった。彼はそのまま行ってしまい、僕はひとりでその意味を考えた。

 僕を頼り、守ってくれる人?ああ、ブローズさんやシルバーさんたちか。確かに僕がいなくなれば彼らの仕事も無くなるな……そこまで思った時、機関庫にまた別の誰かが現れた。

「おう、いたか、古蒸機」

 無礼な口をきくディーゼル達だった。僕も硬い表情を取り戻して冷たく言う。

「何の用だ」

 不機嫌に返すと、そのディーゼルは面白くなさそうに眉をひそめ、それからぶっきらぼうにこう言った。

「これはお前の私物だろう?邪魔になるから一緒にそこに押し込んどけ。どうせ使う奴もいないだろうしな」

「私物?」

そう言われて何のことかと首を傾げていると、茶色と灰色の四角い影が現れた。そして現れるが早いか、口を開いた。

「オリバーさん!」

「オリバー!」

「トード!それにイザベル!」

 僕は驚いて、ふたりに向けて叫んだ。イザベルは目に涙を浮かべ、安堵したように僕を見つめてこう言った。

「心配したのよ、落ちこんでるって……よかった、まだいてくれて、よかった」

 しばらく放置も同然にしていた彼女が、自分のことのように泣いているのを見て、不覚にもまたもらい泣きしてしまった。

「ごめん、本当にごめんよ、イザベル……」

 それから僕は黙っている灰色の影の方を見て、こう言った。

「トード……全部君の仕業だね?…………ありがとう」

「……間に合ってよかった」

 トードは潤んだ目で僕を見て、微笑んだ。

 僕らに抱き合う腕があったなら、きっとその時お互いを抱き締めていつまでも泣いたと思う。

 明日をも知れず、希望など微塵も待ち受けていない日々の底で、僕らはその時だけはとても前向きな気持ちで、何度もお互いの無事を確かめ合った。