日々、只、善き哉。 第0話
Saga of the Western Engines 後編 ~脱出、その1~ - 13/15

第八幕 旅の終わり――――終着駅・バローの夜

 そして僕らは三百マイルを走り抜いた。

 いつしかオリバーさんのペンキは剥げ、錆が浮き、あの美しかった大西部の機関車はもう見る影もなくなっていた。僕も木のそこここが軋んでひどい音を立てるようになった。

 ブローズさんもシルバーさんも、セージさんも、同じだけ歳を取った。それでも、誰も何も言わなかった。

 旅の終わりが、近づいていた。

 ある日、僕らはついに戦場と楽天地の境界へとたどり着いた。

「バローだ。ここさえ越えれば、あとはもうソドーの領地だ」

 大きな駅に続く分岐点の片隅……死角の線路で構内をうかがいながら、ブローズさんが言う。

「そのかわり、追手も駅一杯いますが」

 オリバーさんは深刻そうに言った。

 煌々と灯りが点る夜の操車場は、黒い煙にまみれて、ディーゼル機関車たちがちらちらとランプをきらめかせながら、そこらじゅうを走り回っている。

 バロー=イン=ファーネスは、ソドー島の一歩手前だった。この駅を越えさえすれば、跳ね橋を渡ってソドーへ逃げられる。

 しかしここへたどり着くまでに、僕らはもうぼろぼろになっていた。近づけば近づくほど、ディーゼルたちの追撃は数を増し、逆に時が経つほど、僕らの体と気力は擦り減っていた。とりわけオリバーさんは、もうほとんど石炭と水の供給を受けていない。水は川の水を汲めば何とかなるが、石炭が底を尽きかけていることはもうみんな分かっていた。

「最後の瞬間まで、抗うしかないだろう。お前なら出来る。きっとやりおおせてみせる」

 ブローズさんが力を込めて彼に言うと、オリバーさんはうなずいた。

「そうですね」

 最後の戦いが、幕を開けようとしていた。

 彼は怯むことなく、真っすぐに敵陣に突っ込んでいった。

「おい見ろ!蒸気機関車だ!」

 すぐさまディーゼルたちがそれに気付き、獲物に群がる狼のように集まり出す。

「一台たりとも生かすなというご命令だ……とっ捕まえろ!引き裂いちまえ!」

「八つ裂きにしろ!」

「オリバー!全力だ!全力で逃げるぞ!」

「はい!」

 ブローズさんが叫び、オリバーさんはスピードを上げる。入り組んだ車線をあっちへこっちへと振られながら、僕は夢のように流れるバローの景色を眺めていた。

 連結器がジャラン、ガチャンとけたたましい音を立てる。

 それでも僕はこの鎖がこの世で最も頼もしい、そして、温かな繋がりだと感じていた。

 不思議とあまり怖くなかった。

 すぐ側に迫りくる未来も、僕には怖くなかった。

 長い長い追いかけっこの果て。僕らはガラクタの間で忘れ去られたような側線に隠れた。

 ディーゼルたちはまだ辺りを嗅ぎまわっている。見つかるのは時間の問題だろう。

 だけどもうオリバーさんには前に進む力はなかった。

「とうとう石炭も水も切れてしまったね」

「あとは……もうどうなるか、天命を待つしかない」

 側線の闇に紛れ、僕らはできるだけ息を潜めた。

「どこだ……どこに隠れた……?」

 ディーゼルの唸り声が聞こえる。血に飢えた猛犬のようだ。

 ブローズさんやシルバーさんたちが追い返そうと身構えているが、それも詮無いことだった。ディーゼルの機関士たちを追っ払えても、上の人たちや警察官が来ればおしまいだろう。

 込み上げる涙や虚しさを押し殺しながら、僕は背中合わせのオリバーさんに言った。

「これで終わりかもしれないですね。悔しいなあ……あと一歩のところで……」

 ソドーはもう目と鼻の先なのだ。跳ね橋を渡ればすぐそこに――――もはやこの結末をあれこれ嘆く気はないけど、それでも、やっぱり、生き延びられなかったことは悔しい。

 だけど、オリバーさんは不思議と落ち着いた声でこう言ったのだ。

「大丈夫だよ。きっとなんとかなる。そんな予感がするんだ」

 何の根拠があるのか分からなかったが、彼の言葉は自信に満ちていた。絶望で諦めかけていた僕まで、本当に大丈夫だと思えてくるぐらい。

「もしそれが叶わなかったとしても、僕は最後まで闘うから」

 声には出さず、僕はうなずいた。

 音は続いている。ひっきりなしにむことなく、暗闇ごと僕らを打ち続ける。彼は果敢に黙っていたが、僕らを繋ぐ鎖が別の何かで少し震えているのを、僕は感じ取っていた。

 音が大きくなる。死が迫ってくる。側線に溜まる闇を見つめながら、もう逃げられないのだと思うと同時に、僕は不思議と胸の中が穏やかになっていくのを感じていた。……怖くないわけではない。僕だって死ぬのは怖い。だけど、きっとその瞬間まで、強がりながらも側に居てくれる誰かがいると分かったから。

 何もかもが暗転した世界で、このかすかに震える連結だけが真実。……それなら別にいい。僕は、この言葉について行く覚悟を決めたのだから。

 思い出す、初めて会った日のこと――――僕は頑なで彼は怯えて、あの時はまさか、それが何よりも重く尊い絆になるなんてこと、思うよしもなかった。

 抗いきれない運命で結ばれた、機関車でもブレーキ車でもないふたつ。

 それでもいい。僕らがもう、決して切り離すことのできない一心同体なら――――、

 最期の一瞬まで、共に希望を信じていよう。