第八幕 旅の終わり――――終着駅・バローの夜
そして僕らは三百マイルを走り抜いた。
いつしかオリバーさんのペンキは剥げ、錆が浮き、あの美しかった大西部の機関車はもう見る影もなくなっていた。僕も木のそこここが軋んでひどい音を立てるようになった。
ブローズさんもシルバーさんも、セージさんも、同じだけ歳を取った。それでも、誰も何も言わなかった。
旅の終わりが、近づいていた。
ある日、僕らはついに戦場と楽天地の境界へとたどり着いた。
「バローだ。ここさえ越えれば、あとはもうソドーの領地だ」
大きな駅に続く分岐点の片隅……死角の線路で構内をうかがいながら、ブローズさんが言う。
「そのかわり、追手も駅一杯いますが」
オリバーさんは深刻そうに言った。
煌々と灯りが点る夜の操車場は、黒い煙にまみれて、ディーゼル機関車たちがちらちらとランプをきらめかせながら、そこらじゅうを走り回っている。
バロー=イン=ファーネスは、ソドー島の一歩手前だった。この駅を越えさえすれば、跳ね橋を渡ってソドーへ逃げられる。
しかしここへたどり着くまでに、僕らはもうぼろぼろになっていた。近づけば近づくほど、ディーゼルたちの追撃は数を増し、逆に時が経つほど、僕らの体と気力は擦り減っていた。とりわけオリバーさんは、もうほとんど石炭と水の供給を受けていない。水は川の水を汲めば何とかなるが、石炭が底を尽きかけていることはもうみんな分かっていた。
「最後の瞬間まで、抗うしかないだろう。お前なら出来る。きっとやりおおせてみせる」
ブローズさんが力を込めて彼に言うと、オリバーさんはうなずいた。
「そうですね」
最後の戦いが、幕を開けようとしていた。
彼は怯むことなく、真っすぐに敵陣に突っ込んでいった。
「おい見ろ!蒸気機関車だ!」
すぐさまディーゼルたちがそれに気付き、獲物に群がる狼のように集まり出す。
「一台たりとも生かすなというご命令だ……とっ捕まえろ!引き裂いちまえ!」
「八つ裂きにしろ!」
「オリバー!全力だ!全力で逃げるぞ!」
「はい!」
ブローズさんが叫び、オリバーさんはスピードを上げる。入り組んだ車線をあっちへこっちへと振られながら、僕は夢のように流れるバローの景色を眺めていた。
連結器がジャラン、ガチャンとけたたましい音を立てる。
それでも僕はこの鎖がこの世で最も頼もしい、そして、温かな繋がりだと感じていた。
不思議とあまり怖くなかった。
すぐ側に迫りくる未来も、僕には怖くなかった。
長い長い追いかけっこの果て。僕らはガラクタの間で忘れ去られたような側線に隠れた。
ディーゼルたちはまだ辺りを嗅ぎまわっている。見つかるのは時間の問題だろう。
だけどもうオリバーさんには前に進む力はなかった。
「とうとう石炭も水も切れてしまったね」
「あとは……もうどうなるか、天命を待つしかない」
側線の闇に紛れ、僕らはできるだけ息を潜めた。
「どこだ……どこに隠れた……?」
ディーゼルの唸り声が聞こえる。血に飢えた猛犬のようだ。
ブローズさんやシルバーさんたちが追い返そうと身構えているが、それも詮無いことだった。ディーゼルの機関士たちを追っ払えても、上の人たちや警察官が来ればおしまいだろう。
込み上げる涙や虚しさを押し殺しながら、僕は背中合わせのオリバーさんに言った。
「これで終わりかもしれないですね。悔しいなあ……あと一歩のところで……」
ソドーはもう目と鼻の先なのだ。跳ね橋を渡ればすぐそこに――――もはやこの結末をあれこれ嘆く気はないけど、それでも、やっぱり、生き延びられなかったことは悔しい。
だけど、オリバーさんは不思議と落ち着いた声でこう言ったのだ。
「大丈夫だよ。きっとなんとかなる。そんな予感がするんだ」
何の根拠があるのか分からなかったが、彼の言葉は自信に満ちていた。絶望で諦めかけていた僕まで、本当に大丈夫だと思えてくるぐらい。
「もしそれが叶わなかったとしても、僕は最後まで闘うから」
声には出さず、僕はうなずいた。
音は続いている。ひっきりなしに已むことなく、暗闇ごと僕らを打ち続ける。彼は果敢に黙っていたが、僕らを繋ぐ鎖が別の何かで少し震えているのを、僕は感じ取っていた。
音が大きくなる。死が迫ってくる。側線に溜まる闇を見つめながら、もう逃げられないのだと思うと同時に、僕は不思議と胸の中が穏やかになっていくのを感じていた。……怖くないわけではない。僕だって死ぬのは怖い。だけど、きっとその瞬間まで、強がりながらも側に居てくれる誰かがいると分かったから。
何もかもが暗転した世界で、このかすかに震える連結だけが真実。……それなら別にいい。僕は、この言葉について行く覚悟を決めたのだから。
思い出す、初めて会った日のこと――――僕は頑なで彼は怯えて、あの時はまさか、それが何よりも重く尊い絆になるなんてこと、思う由もなかった。
抗いきれない運命で結ばれた、機関車でもブレーキ車でもないふたつ。
それでもいい。僕らがもう、決して切り離すことのできない一心同体なら――――、
最期の一瞬まで、共に希望を信じていよう。