日々、只、善き哉。 第0話
Saga of the Western Engines 後編 ~脱出、その1~ - 12/15

第七幕 薄明のレールチェイス

 どんなに辛い長い道も、進んでいけばいつかは終わるものだ。

 月日が経って、僕らの旅路もようやく終わりが見えてきた。

「あと三十マイルを切った」

 シルバーさんがつぶやいた。

「やーったぜ相棒!もうあと少しだぞ。長かった冬も終わりだ」

 ブローズさんが歓喜の声を上げる。ほぼ三百マイルもあるのか、と思っていたあの時に比べれば、もう果ても見えたに近い。

「やりましたね!オリバーさん。やっと僕ら、この世の楽園に行けるんだ」

 トードが嬉しそうに言った。

 ソドーまで行けば、もう、逃げも隠れもしなくてすむんだ……。擦り減って鈍く痛む身体で、僕は感慨深く思った。本当は受け入れてもらえるかどうか、分からないのだけど、頼まれるのならどんな仕事だってやるつもりだった。だって、これ以上に辛いことなんて、早々あるはずがない。

「そろそろ少し休もう。ソドーは近づいたが、オリバーの耐久力が落ちてきているのも事実なんだ」

「分かりましたよ、相変わらず慎重なんだから」

 セージさんの忠告に応え、ブローズさんたちは待避線を探し始めた。

 しばらく行ったところで、藪の中へ続く線路に差し掛かる。

「あれはどうだ」

「そうだな」

 シルバーさんが指差し、ブローズさんは僕をその線へ誘導した。

 待避線はうっそうと茂る草木に覆われている。これなら体を隠して安全に休めそうだ。

「さて、と……」

 ブローズさんがスピードを落とそうとする。が、

「はっ……!」

 そのとき闇の中から現れ出たものに、僕は凍りつき、息を呑んだ。

 警戒色の隈取をしたディーゼルは、にやついた笑みを浮かべながらゆっくりと僕の前に現れた。

「やっと見つけたぜ。‟幽霊機関車”……いや、GWR1436。さあおとなしくお縄を頂戴するんだ―――――」

 ――――ガチャン!

「いててっ……!この野郎!」

 言い終わる前に僕はディーゼルに追突した。不意を食らった彼は歯を剥いて悔しがり、僕を睨みつけた。

 しばらく前、隠れて休んでいる間にブローズさんが僕にこんなことを言っていた。

「いいか?ケンカっていうのはな、先手を取った方が勝ちなんだよ。臆せずに自分から先に向かってって、『俺は絶対後に退かない!』っていう気迫を見せつけてやれば、相手は怯んでその隙にこっちが場を持って行けるの」

 シャドーボクシングをしながら、ブローズさんは不敵に笑った。なんでも、鉄道員になる前は札付きの不良で、喧嘩ばかりしていたんだって。

「だから、お前もいざって時はあん時みたいに、怯まずにガツンとくれてやるんだぞ」

 彼は拳を突き出し、僕に目くばせしてこう言った。

 だから僕もその通りにしたのだ。

 そしてその目論みは見事成功したと言っていい。その隙に、シルバーさんが声を上げた。

「全開だ!ブローズ!」

「了解!あばよおんぼろディーゼル!」

 火の勢いと蒸気の出力が最大になり、僕は全速力で側線を飛び出した。藪の向こうで、こけにされたディーゼルが喚く。

「逃がすかくず鉄め!このまま連れ戻してやる!……ハルバート、ククリ、トマホーク――――総員集合だ!1436を八つ裂きにしてやるぞ!」

 警笛と唸り声がして、奴らが集まる気配がした。

 僕は振り返ろうともせずに走り続けた。

 夜更けの空の下で、壮絶なレールチェイスが始まった。

 今までにないようなものすごい勢いで引きずられながら、僕は猛然と迫ってくるディーゼル機関車たちをただ見据えていた。

「ちくしょう、あいつら……先回りして森の中に潜んでいやがったんだ……嫌な奴らだ」

 ブローズさんの恨み言が風に乗って聞こえてくる。

「ひっ捕らえろ!」

「野郎!そんなことはさせねえよ!」

 シルバーさんが石炭の燃えがらを殺し屋ディーゼルに向けてばら撒いた。

「ぎゃあっ」

 悲鳴が上がって追手が一瞬怯んだ。その隙にオリバーさんがスピードを上げる。

 だけど別の側線から、ディーゼルがしつこく迫ってきた!

「ブレーキ車め、お前から始末してやる!」

「うわぁぁ」

「トード!」

 クレーン付きのディーゼルが、僕をそのままもぎ取ってしまおうとアームを伸ばしてくる。そこでふいに、セージさんが怒りの声を上げた。

「貴様!私の相棒に何をする!」

 ヒュッ、と風を切る音と、カン、カラ、という乾いた音が続けて響いた。何か落ちてきた――――と思う間もなく、それがものすごい光を放って破裂した。

 ――――カッ!

「うぉおおおぉぉぉ!?」

 真昼の太陽よりもっと明るい光が閃いて、閃光弾が炸裂した。すごい眩しさだ、うっかり一目見てしまった僕も目が痛み、何も見えなくなる。あれではディーゼルも運転士も目が眩んで動けないだろう。

「十年早いんだよ、若造が」

 セージさんが得意そうに言った。

「……セージさん、何処でそんなものを……?」

 まだ眩しさに痛む目をしばたたきながら、僕は彼に尋ねた。するとセージさんは事もなげに、涼しげに言った。

「何、ちょいと悪ガキだった頃を思い出したものでね。とっておきさ」

 悪ガキの所業の割には度が過ぎているような気がするが、僕は彼を頼もしく思った。

 追跡は執拗に続いたが、僕らは必死で抵抗して逃げ続けた。

 そのうちディーゼルたちは一台、また一台……と少なくなり、とうとうはるか向こうを見渡しても、影も形も見えなくなった。

 とりあえず追手はすべて撒いたようだ。僕らは古い待避線に逃げ込み、しばらく追撃がないかと息を殺していた。

 シルバーさんがまだ息を弾ませたまま言った。

「なんてこった!ここにきて奴らの追撃が活発化してやがる。こんな調子で戦ってたら、我々も身が持たないぞ……」

 僕もそう思っていた。逃亡の間に無煙化は着実に進み、援助を得られることも少なくなっていた。もう水すらまともに手に入らないのだ。この先の状況は、悪くなることはあっても良くなることはないだろう。

 そこで、前からずっと考えていたことを言うことにした。

「オリバーさん、お願いがあります」

 放たれた声が静寂を切り裂き、全員が聞き耳を立てる。僕は一瞬だけ言い淀んで、彼に切り出した。

「僕を切り離して行って――――」

「今度そんなこと言ったら、思い切りぶつかってバラバラにするぞ」

「!?で、でもっ……」

 みなまで言い終わる前に思いもよらぬ返事が返ってきて、僕は言葉を呑み、怯んだ。今まで聞いたことの無い、寸分の甘さもないオリバーさんの声は少し怖かった。

 それに気づいたのか、彼はいくらか柔らかさを取り戻した、でも厳しい声で言った。

「僕がなんでここまで苦労して、君達と逃げてきたと思う?……中途半端な気持ちで連れてきたと思うなよ」

 僕はすぐには返す言葉が見つからなかった。彼は続けた。

「……一緒に助からなきゃ、意味がないんだ。君ほど僕のことを分かってくれるひとはいない、君はこの世に誰も代わりのいない、僕の相棒なんだから」

 相棒。唯一無二。

 その言葉を聞いた時、僕は改めて自分の奥を強く揺さぶられるような気がした。

 僕が彼を必要としたのと同じように……彼も僕を必要としているということ。それは「自分が助かること」より、ずっと強いということ。

 僕は何も考えていなかった。必要とされずに置き去られた気持ちを知っているくせに、短絡的に、あなたのためなんて言って。

 見捨てようとしていたのは……どうやら僕の方だったらしい。

 僕は自分の物言いを恥じた。

「ごめんなさい。僕もどうかしてました。イザベルと、あなたを頼むって約束をしてたのに」

 泣きそうな声で僕が告げると、オリバーさんはにっこり笑ったようだった。不器用なやり取りに、セージさんもブローズさんもシルバーさんも、優しく微笑む。僕らの間に、確かで温かな雰囲気が漂った。

 その時、僕は確かに感じていた。姿形など関係なく、僕らがその魂を認め合う仲間だと。目的を同じくする過酷な旅の中、僕らは人間や機関車やブレーキ車の枠を超えて、ひとつだった。

 長い夜はじわじわと更けていく。ディーゼルの音はしない。

 不意にオリバーさんが言った。

「罐の火が消えそうです……」

 途端に辺りの空気がさっと緊張したものに変わる。セージさんが硬い声で言った。

「ここで絶えたら再スタートできないぞ」

「でも石炭がもう……」

「大丈夫だ、どいてくれ」

 シルバーさんがオリバーさんの火室に何かを投げ込んだ。あとで訊いたら、乾いた木の枝にオイルをしみこませたものだったらしい。徐々にオリバーさんの調子が上がり、蒸気を吹き出してくる。

「こういう時のためにちまちま作っておいたんだ。さすがに石炭よりカロリーは劣るがな。乱暴に言えば、蒸気機関車の燃料なんて燃えりゃあ何でもいいんだよ。これでちょっとは元気が出たろう?」

 シルバーさんが優しく訊くと、オリバーさんは答えた。

「はい、あと少しは走れそうです」

 元気な声だった。僕もほっと胸をなでおろす。

「シルバー、本当に頼りになるぜ」

「伊達に覚悟してついてきてませんからね」

 シルバーさんは誇らしげに言う。ブローズさんは笑顔になった。

「よっし、そういうことなら、とにかく次の駅だ!そこなら味方になってくれるスタッフが待ってる。ディーゼルどもがへばってる間に、とっととずらかってしまおうぜ」

 空はほんのりと明けはじめていた。