日々、只、善き哉。 第0話 
Saga of the Western Engines 前編 ~1930-40s’  僕らのいた風景~ - 7/13

 二台で往路は無事、走り抜くことが出来た。

 パメラは僕らが止まったのを見て、ちゃんと間を空けてゆっくり止まる。――――すごいや彼女。まるでしばらく前からこの支線で走っていたみたいだ。僕は彼女の技量に感心した。

「すごいじゃないか、パメラ。もう僕が教えることなんて何もないみたいだ」

 僕がそう言うと、彼女は嬉しそうに、だけど喘ぐような呼吸をしながらこう言った。

「そんな、一生懸命なだけよ。今だって集中しすぎて息が切れそうなの」

「そんなに焦らなくていいよ。君はちゃんと出来てるんだからさ」

 謙遜する彼女に、僕は素直な励ましを送った。

「下り列車、間もなく発車です!お乗りの方はお急ぎください」

 ほどなくして、ホームで駅員さんが叫んだ。もうすぐ出発の時間だ。小さなホームに、お客さんがぞろぞろと集まってくる。

 前方でオクタヴィウスさんがパメラに声を掛けた。

「じゃあ、行きましょうか」

「えっ、行くってどうやって――――」

 思った通り、彼女は面食らった声を上げた。

「後ろ向きで君がタビーさんを押していくんだよ。大丈夫だ、彼についていけば」

 僕は答えた。すると、パメラは怯えた声を上げる。

「そんな……嫌よ、怖い!」

 ……僕と同じだ。やっぱり自分の目で見ていけないのは怖い。彼女と向かい合っているイザベルが優しく励ました。

「大丈夫よ、後ろから私達がついてってあげるから。ここまで上手くやれたんですもの、あなたなら出来るわ」

「……」

 ――――ピーッ!

 発車の笛が鳴り、不安そうな音を立てて彼女たちは走っていった。

 行きとは逆に、今度は僕らが彼女の後を追いかける。

「パメラたちの様子はどう?」

 僕は前を向いているイザベルに尋ねた。一年前は僕が向こうの立場だったんだよなあ、と少し不思議に思いながら。

「大丈夫、順調よ……あら?」

「どうしたの?」

 前をしっかり見張っていたイザベルが、突然奇妙な声を上げた。その声に、僕は少し不穏な雰囲気を感じて訊き返す。

「変だわ。どんどん離されていってるの」

 イザベルは困ったように答えた。でも、別に僕が格別遅いわけではない。すると――――、

「ちょっと、速すぎるわ。脱線しちゃうわよ!」

 彼女は今度は金切り声を上げた。僕も気づいてさっと青ざめる。パメラの走行音が、どんどん遠くなっていく。僕が遅いんじゃない、彼女が飛ばし過ぎなのだ!

「パメラーっ、スピード出し過ぎだよ、パメラー!」

 後ろ向きだけど僕は精一杯叫んだ。するとまたイザベルが悲鳴を上げた。

「えぇぇ!なんで止まってるの!?」

 どうやら先の線路でパメラが停車しているらしい。……もう何がどうなっているのか全然分からない。

 リン、リン、リン!とイザベルのとは違うベルの音が三度鳴った。オクタヴィウスさんのベルだ。

「すみません!蒸気切れなんです!止まってください!」

 彼が精一杯声を張り上げる。風に乗ってわずかにその囁きが聞こえた。

「オリバー!止まってぇ!パメラちゃんが――――」

 チリン、チリン、チリン!イザベルのベルが激しく鳴った。僕は危急に気づいてすぐさまブレーキを掛けた。が、

 ――――ガシャーン。

「きゃー!」

「うわぁっ!」

 イザベルは止まりきれずに、パメラと思い切りぶつかってしまった。当然、後ろに連結されている僕も慣性で彼女にガツン、とぶつかる。

 一年前とまったく同じ事故が起こってしまった。むしろ二台巻き込んだ分、こっちのがひどいかもしれない。

 お客さんや僕らのクルーたちがざわざわと騒ぎ出す。幸い怪我人はいないようだが、文句を言っている人あり、怖がって泣いている子あり、結構な騒ぎになってしまった。

「……ご、ごめんなさい!ごめんなさい!」

 動転したパメラが涙交じりに何度も繰り返した。しかしイザベルはあくまで落ち着いて言う。

「私は大丈夫よ、頑丈だから。オリバー、生きてる?」

「うん」

 僕はそう返事をしたが内心落ち込んでいた。

 まさかまた後ろ向きでぶつかることになるとは、思ってもみなかった。

 次の日、僕は急に調子が悪くなった。いくら火を焚いても蒸気が上がらず、動けないのである。

「やっぱり昨日の衝突の影響だな。どこか緩んだかひびでも入ったんだろう」

 トワイニングさんが難しい顔でそう言った。

「そんなあ」

 僕はがっかりして、嘆きの声を上げる。トワイニングさんはため息をつきながら残念そうに告げた。

「悪いが、お前は今日は働くのは無理だ。明日には走れるように、早いとこ直してしまうぞ」

「でも、イザベルは――――」

 そこで、心配そうに見ているパメラに気がついた。自分が事故の原因になったと思っているのか、少し離れて申し訳なさそうに、僕の方をうかがっている。

 その時僕は、いいアイデアを思い付いた。

「そうだ、パメラ、君がイザベルを牽いて行きなよ」

「え⁉でも、私……」

 僕が呼びかけると、パメラは驚いたように目をぱちくりさせ、口ごもった。昨日大失敗したのに、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。

 でも僕は、本当の彼女の力はそんなものではないと分かっていた。昨日は緊張し過ぎていたから、たまたまああなったのだろう。客車集めも上手だし言わなくてもちゃんと止まれるし、彼女はきっと、僕より出来がいいはずだから。

「いいよ。イザベルにはよく言っておくから。君は本当はもう十分実力がついてるんだからさ、ひとりで難しい仕事をすることも覚えなきゃ。ちょっとぐらいぶつけたっていいさ、やってみなよ。僕らは別に文句は言わないよ」

「オリバー……」

 パメラは少し、言葉を止めた。それから急に決意を固めた顔になって、力強く、こう言った。

「分かったわ。私、やってみる」

「頼んだよ」

 僕も彼女に微笑んだ。パメラは口を真一文字に結んだまま、勇敢に走り出ていく。

「おーい、マジでぶつけんなよー!この上イザベルも修理だなんて嫌だからなー!」

 ペッパーさんとリンデンさんも手を振る。

「任せてくださいよ!きっとやってみせますよ!」

 彼女の機関士、ラミーロさんが親指を立てた。遠くへ消えていく緑の車体を見つめながら、僕は調子の悪さとは裏腹に、晴れやかな気持ちになっていた。

「きっと大丈夫ですよね、彼女」

「ああ。お前の読みは正しい」

 トワイニングさんが微笑んだ。

「よう、妹の面倒を見る心労でダウンしたか?」

 別の仕事に出ていたオーガスタスが、合間に僕の所へ様子を見に来てくれた。

「全然、疲れてなんかいないよ。もう気分は良くなったさ」

 僕は答えた。実際、悪い所は既に直っていた。精神面だけじゃなく、体の方もきっちり万全である。

「イザベルを任しちゃっていいのかい?パミーのことだからまたぶつけるかも分からんぜ」

 オーガスタスは何か含みがあるような笑みを浮かべて言った。僕はさらりと笑っていなした。

「いいんだよ。自由にやらせることにしたんだ。それに傷ついても、自分でやってみなきゃ、いつまでも成長できないし」

 本当はこんなこと言える立場ではないけど、やらなきゃ分からないというのは、一年かけて僕が学んできたことでもある。今日に至るまで、僕は数々の失敗を繰り返してきたが、そのおかげで多少は役に立つ機関車になれたというのは事実だ。どこかで立ち止まったり、ガスに任せっきりにしたりしてたら(頼んでも彼はそんなことさせてはくれないと思うが)今頃僕はスクラップだったかもしれない。

 オーガスタスはそんな僕を見て、ふと笑った。

「ふん。黙って見守ることも覚えたか。お前もちょっとは大人になったなぁ」

 そしてお決まり通り、こつん、とバッファーをぶつけた。僕も笑ってぶつけ返した。

 そしてパメラは無事、その仕事をやり遂げた。

 自信を付けた彼女は、もう一人前の機関車だった。彼女はとても飲み込みが早かったし、多少失敗したとしても、そこは僕やオーガスタス、それにイザベルやトードたちがフォローしていたから、大きなトラブルが起こることも無く日々は過ぎた。

 やがて彼女も自分の客車をもらった。スザンナという名前だった。イザベルは同じ女の子と走れなくなったと少し寂しがっていたが、スザンナはパメラと同じような性格だったので、「彼女の方が自分より合っている」と安心して、元通り僕のペアとして仲良く走った。

 それからはみんな揃って、毎日楽しく働いたものだ。

 連絡駅や出かけた先では、僕の‟兄弟”に会うことも多かった。でも、確かに同型であることは間違いないのだけれど、それ以上に強い感慨を抱くことはなかった。彼らもきっと同じだったと思う。

 僕の兄妹は、やっぱりオーガスタスとパメラだけだ。だって、‟生まれた”時からずっと一緒にいるのだから。

 何年も、僕らは小さな支線で平穏に暮らした。

 ところがある日駅長さんと作業員さんと、僕の知らない偉そうな人が来た。駅長さんは申し訳なさそうな顔をしている。そして僕らのペンキをいきなり黒に塗り替えるという。

 僕らはたちまち煤で汚れたみたいに真っ黒になった。

「どうしてこんな地味な格好にならなきゃいけないの?」

 僕は駅長さんも褒めた自分の緑色が気に入っていたから、少し不満に思った。だって、こんなのじゃ‟オリバー”らしくないじゃないか。

 するとオーガスタスは重苦しい表情で遠くを見つめながらこう言った。

「戦争がやってくるらしいぞ」

「戦争……って何?」

 聞き慣れない言葉に興味を引かれ、僕は彼に尋ねた。オーガスタスは難しそうに考えて、僕にこう説明した。

「うーん……要するに、人間たちが互いをスクラップにしあう行為のことだ。この国だけじゃない、世界中の色々なところで、そんなことを繰り返してるんだとさ」

 僕は驚いた。人間がそんな事を繰り返しているだって?

 その頃僕は沿線と鉄道で働く人たち以外の人間を知らなかったので、ペッパーさんやリンデンさんみたいに優しい人たちが、世界のどこかでは殺し合いをしているなんて考えられなかった。

「……そうだとしたら随分ひどいことだね。でも、信じられないよ、本当にそんなことが起こってるなんて」

 そこまで言った時、他の機関車が何事かを噂しながら入ってくるのが見えた。彼らは既に真っ黒に塗られている。興奮した様子で喋りながら僕らの横を通り過ぎて行った。

「おい、知ってるか?5800型のキャシー、敵の飛行機に爆撃されて死んだらしいぞ」

「ああ。機関士と助手もろとも……だろ?焼け焦げてバラバラで……本当にむごいことだ」

 しばらくの間、ふたりとも無言だった。そして沈黙ののち、オーガスタスが口を開いた。

「……事は、俺たちが思っているより重大みたいだな」

「……そうだね」

 幾筋の煙が昇る空は、今日も青く澄んでいた。