日々、只、善き哉。 第0話 
Saga of the Western Engines 前編 ~1930-40s’  僕らのいた風景~ - 10/13

第六幕 大輸送作戦

 僕は無事、トードと車掌さんを取り戻した。幸い彼には何の傷も無く、セージさんも数日の入院ののちに回復し、元気になった。

 だけど戦争は日々激しくなっていく。

 上空を飛び交う飛行機は段々数を増し、すわ明日には敵軍の上陸かと噂されるようになった。

 被害を受けたのは鉄道も例外ではなく、少なからず僕らの仲間内からも犠牲が出た。機関車も、貨車も、それから、人間も。

 一体いつ終わるのだろうと陰鬱な気持ちを抱えていた、そんなある日、僕らにはある大きな任務が任されることになった。

「敵方が近々、この駅周辺を爆撃するらしい」

 朝早く僕らとクルーたちを操車場に集め、駅長さんが厳しい顔で言った。ついに猛火が僕らのすぐ側にまで迫ってきたのである。被害を減らすため、この近辺の人たちをあらかじめ疎開させ、物資も援助しよう、ということであった。この機関庫の所属機関車ほぼすべてが駆り出される、大規模な作戦だ。

「というわけで、君ら全員の力を借りたい。機関車、クルー、客車と貨車も、全員一致団結して、事を運ぶように。駅舎や保線整備に残るものたちも同様だ。我々は駅舎と線路を何としても守り通し、誇らしく君たちを迎えよう。この難局を、皆で乗り切ろうじゃないか!」

 軍のお偉方からのお達しに従って、僕らにはそれぞれ仕事が割り振られた。僕はトードがいるので、再び貨物の担当。今度はパメラも一緒だった。僕とふたりで、物資輸送の任務に就くことになった。

「俺は疎開する人間を運ぶことが決まっている。今度は守ってやれん。だからふたりで切り抜けるんだぞ」

 兄さんはそう言って、真剣な顔で僕らふたりに念を押した。僕も真っすぐに彼を見てうなずく。

「分かったよ、オーガスタス」

「パミーもいい子でな。弱音吐くんじゃねえぞ」

「ええ、大丈夫」

 ガスがそう言うと、パメラは気丈に微笑んだ。

「頑張ってね、ふたりとも。気を付けてね」

 今回は別行動になるイザベルが、僕らにエールを送った。同じく疎開避難に赴くオクタヴィウスさんとスザンナも僕らを励ます。

「無事を祈ります」

「パメラ……元気でね……」

「だから死なねえっての。それじゃ今生の別れだスージー。……縁起でもない真似するな、全員無事に帰ってくるんだからよ」

 スザンナがパメラに泣きながら返したので、オーガスタスは呆れたように咎めた。それから切り離された自分の‟トード”の方へ目を向けて、言った。

「……妹を頼むわ」

「お任せなさい」

 パメラはオーガスタスのトードを借り、僕らは出発した。

 輸送の任についた他の機関車たちと一緒に、目的地へ向かう。今までで一番と言えるぐらい長い旅だったが、パメラは僕の後ろから、ちゃんと泣き言を言わずについてきた。

 今日の空には今にも雨が降りそうに、黒い雲がどんよりと立ち込めている。自然と、隊列の中の会話も暗いものになっていた。

「一体いつになれば終わるんだ」

「同じ働くなら、毎日びくびく怯えないで走りたいぜ……」

 他の機関車たちや彼らのクルーたちは囁きあっている。昔の日々に戻りたいというのは、誰も同じだ。

「噂じゃ、ドイツ軍はこのヨーロッパ全土を暴れまわっているそうだ……ロンドンも、他の大きな街も、たくさん焼かれたらしいぞ。この国もいよいよ、危ないかもしれないな」

 僕のすぐ前の列の機関車がそうつぶやいた。僕はその言葉を聞いて不安になる。

「負けたら、僕ら、どうなるんだろう……」

 鉄道もきっと彼らのものになるだろう。売られて、別の色に塗られて、彼らのために働かなければならないのだろうか。それとも、スクラップにされて、喋ることのできない別のものにされてしまうのだろうか。

「……今は余計なこたぁ考えるな。お前や俺らが思い悩んでも、どうにもなんねぇことだ」

 ペッパーさんが重い声で咎めた。その言葉にも声にも、どことなく悲哀が含まれているような気がした。

 行きは幸い爆撃には遭遇しなかった。援助物資を積み下ろしし、僕らも帰りの準備を整える。

「急げ!日が暮れると奴らが来るぞ!!」

 石炭を積み水を入れるクルーたちに向かって、先頭の機関士から声がかかる。

 地平線へ、赤く燃える日は無情にも沈んでいく。その時、薄雲の向こうからグォオオオオォン、と音がして、まったく霧から生まれ出るように、彼らが現れた。

「出やがった!」

「ちっ!」

 隊列全体に、さっと緊張が走った。

 ボディに流れる蒸気を総動員し、一気に加速モードに入る。僕らには逃げる以外に抵抗する手段がない。

 ――――ドカァァン!

「うぎゃあぁぁぁっ!!」

 その時、ひときわ大きな爆発音がして、僕らのすぐ後ろの機関車が一台、悲鳴を上げながら横転していった。クルーや貨車たちの悲鳴も響き渡る。次いで、バラバラ、と機銃の弾が降る音がした。

「……!」

「いやぁ……」

 間近で仲間がやられる現実を感じて、体が一気に冷えそうなほど恐怖を感じる。気を取られそうになったがこらえた。今は、彼らが自分達の力で何とか生き延びてくれることを願うしかない。

「分散しろ!隊になってたら狙われるだけだっ!的を小さくしろ、側線があったら順繰りに退避するんだ!」

 前を行く隊長の機関車から声がかかった。

 信号所を通り過ぎるたびに、一台、また一台……と仲間たちは別の道へ退避していく。ここからは離れ離れだ、みんな助かるんだろうか……と心細くなった頃、前方のポイントで手を振る誰かの姿が見えた。

「そっちだ!オリバー、パメラ、そっちへ飛び込め!」

 同時にペッパーさんが叫ぶ。僕らは誘導されたその支線に飛び込んだ。命懸けで導いてくれたその人に、お礼代わりにポーッ、と汽笛を鳴らす。

「ちっ、なんぼか張り付いて来てやがる。……そんなに俺らが好きかね、物好きだねぇ」

 支線に飛び込んだ後も編隊の一部が僕らを追って来ていた。本当に、小型タンクの一台二台潰したって、何の得になるというのだろう。

「冗談言ってる場合じゃねぇぜぇ……あんな凶暴なのに好かれたくはねぇぜ」

 リンデンさんが震えながら、それでも僕の罐に石炭をくべる。

 と、その時、追跡の一機が高度を下げ、機銃を発射した。

 ――――ダダダダダダンッ!

「きゃぁぁぁ!」

 間近で聞く銃の音と鉛玉の雨に、パメラが怯えて声を上げる。続いてまたドカンッ、と近くに爆弾が落ちる音がした。

「いや……やめてぇ!」

 彼女はもう震えあがって泣き声を上げる。

「後ろを振り向くな!足を止めるな!走るんだ、パメラ!」

 僕は思わず彼女にそう怒鳴っていた。怖いのは分かるけれど、隙を作ったら命取りになると分かっていたからだ。僕は兄さんに比べたらとても頼りにはならないが、今彼女には僕しかいないのだ。前にオーガスタスが僕にそうしたように、彼女を導く。

「パメラさん、頑張って!大丈夫です!とにかく振り切らなきゃ!」

 向かい合わせのトードが彼女にそう言って励ます。

 そのとき、僕のすぐ目の前に焼夷弾が突き刺さった。避けることもできず、そのまま炎の中に突っ込んでしまう。

っちぃ!」

「熱ーっ!」

 油を含んだ高熱の炎に襲いかかられ、運転室からも悲鳴が上がる。幸い僕は鋼鉄だし、この程度の炎を浴びても爆発することもない、が、

「うわぁぁぁ……」

「トード!?」

 後ろでトードの怯えた悲鳴が上がった。今まであまり聞いたこともない、心底恐怖する声だ。

 ペッパーさんが代わりに彼を振り返って、叫んだ。

「トードに火が!」

「ええっ!」

 さっきの焼夷弾から噴き出した炎が、トードに引火したのだ。今度は僕が恐怖で青ざめる番だった。

「トード!トードーっ!」

「くそぉ、消えないっ!……南無三……」

 バサバサと布がはためくような音の合間に、セージさんの毒づく声が聞こえた。おそらく上着や帽子で火を叩き潰そうとしているのだろう。でも、焼夷弾の炎はなかなか消えない。あれは油を含んでいて、簡単に広がり長く燃えるように作られているのだ。現に、僕のボディについた炎は、飛び散ったわずかな油を燃料にしてまだ燃えている。人が叩いたり踏んだりしたぐらいでは消えない。でもこのままじゃ……木材でできているトードが燃えてしまう!

 分かっているがペッパーさんもリンデンさんも、ここからではどうしようもない。ましてや僕は手は出せない。また高速で走って炎を吹き飛ばす?でも完全に火が点いたら無理だ、ますます燃え広がってしまう――――。

 その時、パメラが不意に叫んだ。

「機関士さん!寄せて!私をトードに……」

「よしきた」

 ラミーロさんもうなずき、僕の列に近づく気配がする。

 ……何をする気だ?僕は訝しみながら後ろの様子を伺った。パメラは本当にギリギリまで、僕らに近づいてくる。あと少しでぶつかる……。

「パメラさん!」

 トードが叫んだと同時に、水の飛び散る音がした。

 ――――バシャ!

「や、やった!消えたぞ!ありがとうエド!」

 一瞬の静寂の後に、セージさんの嬉しそうな声が聞こえた。どうやら助手のエドさんがトードに水を掛けたらしい。トードはお礼を言った。

「……ありがとうございます、パメラさん、それからお二人も」

「いいのよ」

 パメラの返事が返ってきた。

 僕は内心舌を巻いていた――――さっきまであんなに怖がっていたのに、とっさにあの冷静な判断を下したのか。しかもあんな離れ技をやってのけるなんて。僕はさっき取り乱した自分を恥じると同時に、本当に彼女を誇らしく思った。

「いい判断だよ、パメラ!おかげでトードが助かった」

 再び距離を保つ彼女に、僕は呼びかける。

「妹ちゃん、なかなかやるじゃないの」

 ペッパーさんも言った。パメラは返事の代わりに短く汽笛を鳴らした。

 決死の追いかけっこは続く。小さいくせになかなか倒されないと知って、向こうも躍起なんだろう。プロペラと風を切る音が、すぐ頭の上と感じるぐらい低空を飛んでいる。

「飛ばせ!撒くぞ!」

「はぁっ、はぁっ……駄目だぁ、腕がちぎれそう……」

「どけ!俺が代わってやらあ!てめぇは計器見てろ!」

 ペッパーさんが一時的に罐焚きを交代し、リンデンさんを休ませる。全員限界に近いほど疲れ切っていたが、この窮地を車両も人も、一致団結して乗り切ろうとしていた。

 敵軍の飛行機たちは執拗に僕らを追う。それでも、その甲斐あって、少しずつ……彼らとの距離は開いた。とうとう、彼らは僕らを狙うのを諦めたかのように、一機、また一機と風に剥がされるように遠ざかっていった。

「やったーっ!あいつら、諦めたぞ!」

「よかったぜぇ!」

 ペッパーさんたちが確かめ、歓喜の声を上げる。後続のパメラのクルーからも叫び声が上がった。

 一旦過熱しすぎた部品を冷ますと同時に、クルーたちの休憩も兼ねてしばらく待避線に隠れる。煤と埃まみれで疲れ切ってはいたが、僕は胸の内では途方もない達成感を感じていた。――――やったぞ。やり遂げたんだ。僕らだけの力で、何とかやれた。なんだか、今日初めて、自分は‟役に立つ機関車”になれた気がした。

 クルーたちも互いに仕事ぶりを讃えて冗談を言い合い、自然と明るい会話が飛び出すようになっていた。みんな真っ黒でぼろぼろだったが、その表情は何よりも輝いていた。

 少しずつ、空が白む。いつの間にか夜が明けかけていた。長い長い夜だったな……と今になって思う。あんなに一気に駆け抜けたはずなのに。

 すがすがしい気持ちで懐かしいひとたちの顔を思い出しながら、僕はパメラに言った。

「さあ、早く帰ろう!きっとみんな心配して待ってる」

「ええ!」

 パメラも元気よく答えた。