日々、只、善き哉。 第0話 
Saga of the Western Engines 前編 ~1930-40s’  僕らのいた風景~ - 1/13

※「オリバーのだっしゅつ」、及び原作絵本「大脱走」に続くまでの出来事を自己解釈した捏造過去話。今回は擬人化なし(人化する前の話です)。

※いつにも増してめちゃんこ長いです。一気読み非推奨。

オリキャラ大量発生。ほとんど人です。嫌いな方は注意。史実及び原作設定に沿ってはいますが、間違いや都合上創作を加えた場所も多々あります。純な鉄道ファンの方々&歴史マニアの方々は今すぐ脱出いただけると幸いです。読んでくれる方はご容赦ください。

※前半オリバーがあんまかっこよくない&トードがなんか冷たい。イメージ壊したくない方は今すぐ後退です。


第一幕 大西部鉄道‟4836”、来たる!

 1934年8月末日――――。

 煙と油の匂いが、遠くから漂ってくる気がする。

 見知った工場を離れ、荷台に縛りつけられたまま運ばれていく中、流れる街並みを期待半分、不安半分で眺めていたのを覚えている。

 よく晴れた夏の日、僕は本土のとある駅に連れてこられた。

 といっても、僕は人間ではなく機関車というもので、ここで客車を引っ張ったり荷物を運んだりするのが仕事だと言われた。

 GWR4800クラス、4836番――――それが、‟僕”という存在を示す、たった一つの記号だった。

 史上初めての世界大戦から数年。

 年々輸送量が増え煩雑化する需要に対応すべく、数多の鉄道会社は合併され刷新され。そして成立した四大鉄道会社――――通称ビッグ4が管理する鉄道網の中で、蒸気機関車は二度目の黄金時代を迎えていた。華やかで芸術的な機関車たちが行き交う、往時のような華やかさは鳴りを潜めたが、ビッグ4の管理の元、蒸気機関車はそれでもなお壮麗に駆け抜け、技術的にも至高の領域に達しようとしていた。鉄道は平和で、安定して、成熟しきっていた。その時僕らは間違いなく時代の頂点にして中心におり、誰もがこの栄光は、この先も末長く続くと信じていた。

 ビッグ4のひとつ、孤高の存在であった「大西部鉄道」。

 数々の革新的な技術を生み出し、大合併後もオリジナルの名前を守り続けたこの鉄道会社も、変わりゆく時代の波には勝てず、やがては一つの結末を迎えることとなる。

 時代の過渡期、その中で暮らす者たちが何を見、そして何を感じてきたのか?

 これはその当事者だった僕らが記す、しかし誰にも顧みられることのない物語である。

 辿り着いたのはとある建物のある敷地だった。

 これが‟駅”というものか、と僕は思った。話には聞いたことがあるが、工場とだいぶ違うので物珍しい。

 線路の向こうで身なりの良い紳士が待っていた。僕を牽いてきた人たちの一人が、その人に気づいて声を掛ける。

「駅長さーん」

「おう、来たかね」

 駅長さんと呼ばれたその人は、僕らに気づいてこちらにやってきた。駅長さん、ということは、この人が僕の上司になる人か……。

「はい、お待たせしました、こいつがこれからお世話になる4836です」

 彼らはそう言って僕を紹介した。

「なるほど、これが新型か。なかなかいい顔をしている。役に立ってくれそうだ」

 駅長さんは僕を見て嬉しそうに言った。そして自己紹介した。

「私はローレンス・ブルックリン。この駅の駅長だ。これからは長い付き合いになる。何卒末永くよろしくな」

 駅長さん――――ブルックリン氏は気さくに笑いながら言った。工場にいた人々と同じで、彼はさも当然のように、僕に話しかけてくるのだ。僕の言葉も彼にはそっくり通じた。それがひとりぼっちで心細かった僕にとって、安心できる大事な要素だったことは言うまでもない。

「さて、そうと決まればまずは君の名前を決めなきゃな」

「名前?」

 耳慣れない単語に、僕は尋ねた。

「そうとも、君の兄弟はとても多いのでな、車体番号だけではなんとも味気ないし分かりづらい。だから名前を付けるんだ」

 駅長さんはうなずいて、そう続けた。そして僕のことをしげしげと眺めた。

「しかし、新品だからというのもあるが、君らは特に大西部鉄道の緑が映えるなあ。ブランズウィックと言ったか?私にはむしろ柚葉色か、オリーブグリーンにも見えるが」

 塗装してもらったばかりの僕のボディは、当然雨風や煤煙や日差しにさらされたことも無いので、少しの褪せも無くピカピカに輝いていた(……というのを後から人づてに聞いた。何しろ僕ら、自分で自分を見ることはできないので)。

「ふむ……そうだな」

 駅長さんはしばらく考えた末に、ようやく優しげな笑みと共に口を開いた。

「オリバー……オリバーがよかろう。ようし、君は今日から‟オリバー”だ」

 今までのものとは、明らかに違う単語。その響きに誘われて、僕はそれを自然と自分の口で反芻していた。

「僕は、‟オリバー”……」

 番号だけだった自分の記号に、新しい記号が追加された瞬間だった。

 その日から僕は‟僕”たるものを、今までよりもっと強く認識するようになった気がする。

 お前を動かすクルーにもしばらくは慣れが必要だと言われて、その日は僕はまだ操車場に留め置かれていた。側線の片隅で操車場を見渡す。当たり前だが、知らない顔ばかりだ。中には僕を見て汽笛を鳴らしてくる機関車もいたが、声を掛けていいかどうかも迷った。

 何もできないのが歯がゆいが、どうしようもない。何しろ‟世の中”に出てまだ一日目なのだから。

 いきなり知らないところに連れてこられ、親しかった工場の人や、一緒に作られた仲間とも離れ離れになって……僕はどうしたらいいのか、少し不安になっていた。

「よう、新入りかい?」

 そのとき、気さくな声がして、別の誰かが近づいてきた。車輪の軋む音、蒸気を吹き出す緑色の車体――――それは僕とまったく同じ姿形をした、別の機関車だった。

 鏡でも見ているのかと思った。僕はびっくりして硬直していた(まあ元から鋼鉄だし固まってるんだけど)。瓜二つの彼は僕を見て、少し驚いた後、ぱっと顔を輝かせた。

「なんだ!俺と同型じゃねえか!いやあ嬉しいねぇ、他の駅では見かけたけど、ここに兄弟が来ることになったのは初めてだ」

 いかにも気風の良い兄貴分と言うような、豪快ではきはきした喋り方。姿は同じでも、中身はだいぶ違うらしい。彼は自分と同じ機関車に会えて、心から嬉しそうだった。そして自己紹介した。

「初めまして、俺はオーガスタス。番号は4800。まあ言うなりゃお前と、全部の4800クラスの兄貴だ。尊敬してくれよ。で、弟、お前の名前は?」

「え……っと……オリバー、です」

 ‟オーガスタス”――――僕の‟兄”は、まるでずっと前から一緒にいたかのように、気軽に話しかけてくる。僕はどぎまぎして、まだ言い慣れない自分の‟名前”を告げた。するとオーガスタスはますます嬉しそうな顔をしてこう言った。

「おう、なかなかいい名前じゃないか。なら、呼び名は『オリー』だな。……そう硬くなるなって、俺たち兄弟だろ?」

 そう言ってオーガスタスは僕に近づき、こつん、と軽くバッファーをぶつけてきた。びっくりしたけど、それが彼の親愛の表現だと分かって僕も嬉しくなった。

 それからは、僕は彼を一番の先輩として慕うことになる。

 次の日の朝早く、僕の所へ駅長さんと他に男の人が二人、訪ねてきた。

 まだ半分夢心地の寝惚け眼をしばたたくと、昨日と同じ気さくな笑顔があった。

「おはよう!オリバー。よく眠れたかね?」

「え、ええ……まあ」

 本当は不安と興奮であまり良く寝つけなかったのだけれど、そう言ってごまかした。

 駅長さんは苦笑いして、ついと肩をすくめた。

「まあ慣れんのは仕方ない。気持ちは分かる。これからは機関士と助手が付くから、少しは安心して仕事に集中できるようになるだろう」

 そして後ろの二人を紹介した。

「俺はパトリック・クリフォードだ」

 僕の最初の機関士はそう言った。のちに彼はその怒りっぽさから「ペッパー」とあだ名されるようになる。でもそれが誰よりも熱い心意気ゆえのことだと、僕は分かっていた。

「リンデン・ウォルポール……よろしく~」

 間延びした声で挨拶したのはリンデンさん――――僕の最初の助手だ。ペッパーさんと違って、だいぶのんびりした性格だった。

「さて、今日から早速仕事に移るぞ。とりあえず客車牽きから覚えないとな。お前は特別だから、ちょっとばかりコツがいるようだし」

「特別?コツ?」

 挨拶もそこそこに、早速ペッパーさんは僕に乗り込んでどこかへ向かい始めた。「特別」だという言葉に僕は首を傾げたが(もちろん比喩的な意味で)、二人は陽気に話しながら僕を動かしにかかる。

「とりあえずオートコーチを探しに行くかー」

「了解~」

 リンデンさんが間延びした声で答えて僕に石炭を焚く。

(オートコーチって何だろ)

 不思議に思いながら、僕は‟人生”初の一歩を操車場で踏み出したのだった。