※原作漫画「RISING」準拠、ロシアチームのリーダーとその周りの日常の話。
※一応腐向けではない。恋愛描写なし。
※設定は原作その他と一切関係なし。勝手な妄想を多分に含みますので、不快な場合は逃げてください。
絹のカーテンを破いていくように、ゆるやかに夜は終わりを告げる。
重いビロードの闇は消え去り、霧とともに白い朝が来る。
おはよう世界。
今日の気分はどうだい。
窓辺から差し込んでくる光に照らされて、今朝も目覚ましが鳴る前に目が覚めた。外からはもう早騒ぎ出した小鳥のさえずりが聞こえる。階下からはそれとは違う楽しそうな声が。
何も代わり映えのない一日の始まりだ。俺はベッドから起きあがって、現実のカーテンを開ける。
窓にかかる楡の枝が光に透かされて、まるでシダ入り水晶のように輝く。冬に向かいつつある冷たい空気が、色づいた葉に無数の露の珠を残す。美しい景色だが、まだ醒めきっていない頭と目には、少々刺激が強い。
今日の夢は悪くなかった気がする。気がついたらもう忘れてしまったが。だがなんとなく薄青いイメージと、寂しいような後味だけは残っている。
眠気と自分らしくない物思いを振り払うように、俺は急いで出かける支度を始めた。
手早く制服に着替えて、癖は直らないが丁寧に髪を梳かす。隣の部屋の主からは「セットしなくてもかっこいいからいいな」などと言われるが、当人にとっては色々と迷惑だ。
「……代わり映えしないな」
鏡を覗き込んで、俺は独りごちた。梳き終わってみたところで、鏡に映るのはやっぱりいつも通りの結果。……冴えないって程じゃないが、もう少し、何とかならんのか。顔色は悪くないが。
一本歯の欠けた櫛を机に置き、不愛想なもう一人の自分に別れを告げる。それから鞄に必要なものを詰め込んでから扉を開けた。
廊下に出て、通りがけに隣の部屋のドアを叩く。
「おい起きろ。遅刻するぞ」
「ん~……えっ、もうそんな時間!?」
まだ布団の中にいたらしいボリスが、焦った声を上げて起きる気配がした。
「そうだ。早く起きろ」
一言だけ告げて、食堂のある階下に降りた。
養育センターは朝から騒がしい。俺達を含めて、一クラス分の子供がいるから当然だろうが。洗面を済ませて朝日の差す回廊を歩いていると、襟元の乱れたボリスがバタバタと追いかけてきた。
「おーい待ってくれー」
「遅い。規律がないからってたるんでるな」
「ヴォルコフの手下のクソ教官みたいなこと言うなよ」
ボリスに指摘されて、未だ染みついた慣習が抜けきらない自分に嫌悪感を覚える。
一年と少し前、あの事件の後……BBAロシア支部の取り計らいで、宿無しの俺達がたどり着いた「ゴルベヴァ子供養育センター」。ここは「自由と自律」がモットーで、それほど日常生活に厳しい決まりはない。「普通の家庭のルールと同じ」なんてセンター長は言っているが、普通の家とやらもこんなものだろうか。
「顔ぐらい洗え。髪もぼさぼさじゃないか、俺以上に」
「そんなんあとでやるよ。それより朝飯!」
などと漠然と歩いていたら、朝から騒ぎ立てていたちび共に見つかってしまった。
「あ、ユーリさんとボリスだー」
「おはよう!おはようおはよう!」
「おー、朝から元気いいな……お前らもう飯食った?歯磨いた?俺達今からだから、頼むからどいて」
「基礎校は始業が早いんだよ。まとわりつくな。遅刻しちまう」
油断している間に、あっという間に大勢に囲まれてしまう。センターには様々な年齢の子供がいるとは言えど、実質俺達が最年長だから仕方なしな部分もあるのだろう。皆同じような境遇で、“普通の家庭”を知らない子供たちには、俺達は親代わりに近い、年上の兄弟に見えているに違いない。
「今日は二人とも学校ですか?ユーリさん、またバトル教えてください!」
「ずるい、私も!ねえボリス、終わったら遊んで!」
「おいこら、やめろ!袖を引っ張るな!」
「今日は五限まであるんだ。悪いが、またな」
「「「えーっ」」」
走り寄ってくるちび共をあしらいながら、食堂の扉を開ける。
南向きの明るい大広間には、よく見知ったもう二人がいた。
「おはよう」
「おはよう!」
「あ、今日ボリスもいる。おはよーっ」
「おはよう。今日は二人とも早いな」
食卓の片端からイワンが、焜炉の側からセルゲイが答えた。セルゲイは借り物のエプロン姿で、鍋をかき回している。既に一つ半空になっている大きな鍋の中では、彩り鮮やかな野菜のシチーが煮えている。
「お前もな。朝から張り切りすぎじゃないか?」
思わず訊ねると、彼は笑って言った。
「いや、いいんだ。俺の数少ない楽しみだから。ほらお前の分だ、このくらいでいいか?」
「ああ」
受け取りながら、そんなものだろうか、と俺は思う。長らく義務的に用意されたものしか食べたことがないし、世の母親からは献立を考えるのが大変だとか、そんな話ばかり聞くが。
だが誰かの役に立つというのは、きっと嬉しいことなのだろう。早々にそんなものを見つけられて、馴染んでいる彼を羨ましく思う。
「なんか兄貴っていうか、母ちゃんみたい」
「セルゲイが当番だと飯が美味くていいな~」
「言っちゃ悪いが、お前らの時はたまに悲惨だからな……」
「だいたいユーリのせいだよ!」
間髪入れずに元気よく言われたので、俺はボリスの脇腹を思いきり小突いた。左ジャブを食らったボリスは、涙目で体を折る。
「いってえ……」
「俺だけのせいにするな。お前この間鍋焦がしただろうが」
日替わりの当番があるし、朝食の時間もあらかた決まっているが、食うのもみんな一斉にというわけではない。“普通”の家庭も兄弟が多けりゃ、もしかしたらそうなんだろう。
元気なちび共は言われなくても早くに起きだすので、朝食は必然的に当番の出来る年長組と、寝坊か訳ありの初等・幼年生、それから大人の世話の必要な幼子数名が最後になる。
いつもの面子で一緒に飯を食う。ボーグにいた頃も同じだったはずだが、距離はあの頃よりも近いし、何より部屋が明るい(あの頃より美味いかどうかは当番によって異なるが)。
「セルゲイ、今日も夕方はバイト?」
ボリスが尋ねると、セルゲイはうなずいた。
「ああ。そんなに遅くならないから、夕飯も心配しなくていいぞ」
「いいなあ。俺も早くバイトしたい」
ボリスが羨ましげに言ったが、セルゲイは怪訝そうな顔をした。
「お前はもう少し成績を上げないと駄目じゃないか?」
「大きなお世話だ!」
鋭く指摘されて、ボリスは声を張り上げた。
(アルバイトか……)
そのやり取りを聞きながら、俺は思う。先の夏は事情があって特別に考慮されたが、継続的なアルバイトだけは、十五歳になるまで禁止なのだ(しかも成績が一定以上でないと許されない)。ゴルベヴァは給金が少なかったことに対して、工場に「不当だ」と怒っていたみたいだし。
働くことはやぶさかではないし、むしろ俺も少しでも早くそうしたい。既にそれよりひどいことをさせられていたんだし、今更どうした、という思いもある。
俺はボリスよりも成績はいいから、たぶん来年にはすぐ許してもらえるだろう。……もう少し自由に使える金があったら、多少髪の手入れも出来るだろうし。
「何考えてんだよ?嫌いなものでもあった?」
「冗談言ってるのか?」
脇から問うてきたイワンに答えて、俺は皿の中身を綺麗に片付けた。
朝食は時間がばらばらなので、出来る齢なら、自分の皿は自分で片付けるのが決まりだ。
「俺洗うから濯いでよ。そこに置いてあるやつもやるから」
「ああ」
この程度のことなら昔から自分達でやっていたので、別に苦ではない。まだ自分で洗えない幼年組の分もついでに片付ける。手早く洗い終わった皿を拭いて元の棚に戻すと、赤ん坊に離乳食をやっていた職員が笑った。
「完璧ね。行ってらっしゃい」
「行ってくるよ、デラシネ」
「行ってきます」
通りがけに、ボリスはまだ飯を食っているイワンの頭に手を置いた。
「ようクソガキ。早くしないと初等に遅れるぞ」
「うるせぇ!来年はお前らと同じ基礎課程だからな!」
真っ赤になって反撃するイワンを横目に、ボリスはにやにや笑った。
「ピッカピカの五年生じゃん。そのころ俺らはもう卒業だよ」
「お前が中等に行けるわけねえだろ、バカボリス」
「てめー!」
「おい、行くぞ馬鹿」
頃合いを見計らって、ボリスの襟首を掴んで止める。壁の時計もちょうど七時半前を指している。ここで喧嘩などされたら完全に遅刻だ。
「あ~、ユーリまでひどい……」
大げさに嘆くボリスを引きずって、二人してセンターの玄関を出た。